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柳 之 御 所

奥州藤原氏の栄光の館

 所在地:岩手県西磐井郡平泉町
 築城年:11世紀末
 築城者:藤原清衡
 形  式:館
 遺  構:堀跡、曲輪、道路跡、庭園跡

 地図 
歴 史  奥州藤原氏三代の栄華を伝える平泉は、中尊寺の金色堂や毛越寺の庭園など多くの史跡が知られている。藤原氏の居館があったことは『吾妻鏡』などの文書に記されていたが、近年の発掘調査の結果、館を中心として平泉の壮大な遺跡が明らかになってきた。
 当初は、奥州藤原氏の初代清衡、二代基衡の居館跡と伝えられていたが、40数回に及ぶ調査の結果、中心年代が12世紀後半で、特に三代秀衡の時期に重なることが判明した。『吾妻鏡』には無量光院の北に館を構え「平泉館」と称したと記しており、柳之御所の名は無いが、JR平泉駅の北500mのところに「柳之御所」の字があるので、現在はこの字名をとって「柳之御所」と呼んでいる。
 おしくも柳之御所は文治5年(1189)源頼朝の鎌倉幕府軍の攻撃によって落城し、藤原氏三代の栄華もわずか90年で幕を閉じた。
一口話  金売り吉次が奥州と京都を往復したことからわかるように、奥州藤原氏の栄華は膨大な砂金によって支えられていた。金売り吉次といえば、鞍馬山から牛若丸を平泉に連れて行った人物として有名である。
 平家討伐後、兄頼朝の厳しい詮議にもかかわらず源義経が藤原秀衡のもとにたどり着くのも、北陸の平泉寺の僧兵などの庇護があったためで、奥州藤原氏の勢力は北陸路にも及んでいた。
 義経といえば歌舞伎の『勧進帳』や能の『安宅』が有名だが、安宅関は史実ではなくフィクションである。
見どころ  柳之御所は北上川の自然堤防を利用して建設されていた。昭和63年から約4万平方mを対象に発掘調査が進められてきた。柳之御所からは、儀礼に使った素焼きの皿、かわらけや、中国製磁器の調度品、愛知県から運ばれてきた甕などが出土し、当時の暮らしの様子を鮮やかに伝えている。また、御所の内部からは多数の建物や井戸、便所などが見つかっている。これら数々の出土品や最新の発掘成果は、平泉郷土館で間近に見学することができる。
 さらに現地に立てば、当時の堀・曲輪跡・道路・庭園などの跡を見ることができる。平安時代の奥州の政治・経済・文化の内容を詳しく伝える遺跡として国の史跡に指定され、岩手県と平泉町は柳之御所遺跡を史跡公園として整備するための準備を進めている。
周辺案内  中尊寺の国宝・金色堂や毛越寺の庭園は有名な観光地で、一年中観光客の絶えることはない。
 毛越寺の東に隣接する特別史跡・観自在王院は、藤原基衡夫人が建立したと伝えられ、四隅が丸くなった方形の苑地(舞鶴が池)には巨石を積み重ねた石組み、小じんまりした洲浜などがあり、毛越寺とともに訪れたい。
 三代秀衡が造営した特別史跡・無量光院は宇治平等院の鳳凰堂を模して建築。その遺跡のほとんどは水田になっているが、現在でも池跡・中島・堂礎が残っている。
 中尊寺の東方の丘陵には高館があり、判官館とも呼ばれている。秀衡の庇護を受けた義経はこの高館に住んでいたが、文治5年4月に、頼朝の圧迫に耐えかねて裏切った泰衡の急襲にあって自刃した。高館の頂上には、仙台藩主伊達綱村が建立した義経堂があり、堂内には義経の像が祀られており、薄幸の武将・源義経の生涯が偲ばれる。

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