鶴 ヶ 岡 城
東北の外様大名に睨みを効かせた酒井氏の居城
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| 内堀と土塁 |
| 歴 史 | 鶴ヶ岡城は庄内平野の南、赤川の西に位置す る。古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉時代から戦国時代にかけて庄内に君臨した武藤氏の居城であった。天文年間(1532〜1555)武藤氏は兵火のため、大山の尾浦城に移り、大宝寺城はその支城となった。 天正15年(1587)越後春日山城を本拠とする上杉景勝の家臣で あった越後村上城主本庄繁長が庄内地方に攻め入ると、武藤氏はなすすべもなく滅亡。庄内の地は上杉氏が領有するところとなった。慶長3年(1598)上杉氏は豊臣秀吉によって会津若松に移封されるが、引き続き庄内地方を支配していた。 慶長5年(1600)関ケ原の合戦で東軍の徳川方に加勢した出羽山形城主最上義光(よしあき)はその功により、慶長6年(1601)上杉氏に替わって庄内地 方を与えられた。最上義光は大宝寺城を自らの隠居城とするべく大修築を行い、城の名も「鶴ヶ岡城」と改めた。 しかし元和8年(1622)義光の孫の義俊の代にお家騒動で最上氏は改易となり、替わって信州松代より徳川譜代の酒井 忠勝が14万石で鶴ヶ岡城主となる。酒井氏は忠勝・忠当(ただまさ)・忠義の三代にわたって、本丸を中心に二の丸・三の丸を整備するなど、近世城郭に改築するとともに城下町の整備も進めた。 鶴ヶ岡城は仙台伊達藩・秋田佐竹藩など外様大名の押さえとして、酒井氏11代の居城として明治維新を迎えるが、明治元年(1868)の戊辰戦争に際して、庄内藩は新政府軍と戦うものの降伏。明治政府によって鶴ヶ岡城は解体された。 |
| 一口話 | 酒井氏が城主となる前は山形の最上義光の領地で、大宝寺城と呼ばれていた。ある日、酒田の海岸に大きな亀が打ち上げられたので、義光はこれはめでたいと酒田の支城の名前を「亀ヶ崎城」と改め、「鶴は千年、亀は万年」ということわざから大宝寺城も「鶴ヶ岡城」と改めたと伝承されている。 |
| 見どころ | 鶴ヶ岡城跡は現在、本丸跡と二の丸跡の一部が 鶴岡公園として整備されている。本丸跡を取り囲む内堀と、二の丸跡の北側と西側に外堀が残り、満々と水を湛えた堀と土塁、石垣が美しい。本丸跡西側と二の丸外北門跡一帯には土塁が良く残っ ている。本丸跡北西には隅櫓、南西には渡櫓が築かれていたが、南西隅の渡櫓跡には護国神社が建ち、その参道入口が本丸御殿玄関跡で、本丸御殿が築かれていた本丸跡は荘内神社の境内となっている。 荘内神社は明治10年の創建で、酒井家初代忠次、二代家次、三代忠勝、九代忠徳を祀り、境内には酒井藩主ゆかりの品々を展示する宝物殿もある。 ![]() 中の橋跡を渡ったところ、本丸跡東南にあたる本丸中門跡にはオランダバロック風の窓とルネッサンス風のドームをあわせもつ大寶館が建っている。大正天皇の即位を記念して大正 4年に建てられた赤い尖塔屋根と白亜の外観が美しい建物で、内部は郷土ゆかりの著名人の資料館となり、高山樗牛・藤沢周平・横光利一に関する資料などが展示されている。鶴岡公園の南東に隣接する致道館は文化2年(1805)九代藩主酒井忠徳が創建した藩校で、表御門・講堂・聖廟などが残り、東北地方に現存する唯一の藩校建築として国の史跡に指定されている。徳川幕府の朱子学に対して実証主義的な荻生徂徠の学問を取り入れ、多くの逸材を輩出した。 ![]() 鶴岡公園西側の三の丸跡には致道博物館がある。御隠殿・西御殿と呼ばれていた酒井氏の御用屋敷跡で、昭和25年に博物館として開館した。 館内に建つ御隠殿は文久3年(1863)藩主の隠居所として江戸屋敷から移築したものと伝えられ、御隠殿に付随する赤 門も同時に移築されたという。また、御隠殿に付随して建てられた二階建て土蔵造りの建物も残る。御隠殿の北側には築山池泉を配した酒井氏の書院庭園があり、国の名勝に指定されている。鶴岡公園内には堀沿いに約800本のソメイヨシノが植えられ、山形県内屈指の桜の名所。堀に沿って城跡を散策すると、在りし日の鶴ヶ岡城が一部にしか石垣を用いず、土塁と幅の広い水堀によって囲まれた城であったことが実感できる。 |
| 周辺案内 | 致道博物館には国の重要文化財に指定されている旧西田 川郡役所・旧渋谷家住宅(湯殿山麓の田麦俣の民家)が移築されているほか、県文化財の旧鶴岡警察署も移築され、なかなか見ごたえのある博物館となっている。鶴岡は出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)に詣でる拠点でもある。月山神社と湯殿山 神社に参詣することは標高が高いため容易ではないので、標高414mの羽黒山山頂に出羽三山の神々を祀っている。羽黒山中腹には鬱蒼とした杉並木に囲まれて国宝の五重塔が建っている。高さ29m、三間五層の柿葺き素朴造りの塔は東北では最古のものといわれ、文中元年(1372)庄内の領主で羽黒山の別当であった武藤政氏によって再建されたと伝えられている。五重塔近くにある翁杉は樹齢千年を数え、国の天然記念物。 |