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二 本 松 城

戊辰戦争で少年隊も散った悲劇の城

 所在地:福島県二本松市郭内
 別  称:霞ヶ城
 築城年:応永20年(1413)
 築城者:畠山満泰
 形  式:平山城
 遺  構:石垣、天守台、井戸
      復元城門・櫓

 地図 
復元箕輪門
歴 史  二本松城は南北朝時代末期の興国2年(1341)本丸跡東櫓台の石垣足利尊氏によって奥州探題に任じられた畠山高国が居館を構えたのが始まり。畠山氏四代満泰は室町時代中期の応永20年(1413)から白旗ヶ峰に新たな城郭を築き上げ、二本松城と称した。
 復元箕輪門二階櫓戦国時代に入ると、畠山氏十二代義継は勢力を伸ばしてきた伊達政宗と争い、天正13年(1585)謀略を用いて伊達政宗の父輝宗を拉致、二本松城に引きたてようとした。折から鷹狩に出かけていた伊達政宗は阿武隈河畔で畠山義継に追い着き、父輝宗もろともに畠山義継を射殺し、翌天正14年(1586)二本松城を総攻撃。このため城は陥落、畠山義継の子義満は城に火を放って会津へ逃れ、南北朝時代からの名門畠山氏の歴史は幕を閉じた。日陰の井戸
 天正18年(1590)小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は会津若松に蒲生氏郷を封じ、二本松城は蒲生氏の支城となり、城代が置かれた。江戸時代に入ると、二本松城には松下氏2代、加藤氏1代を経て寛永20年(1643)丹羽光重が白河より10万るり池7千石で入城。丹羽氏は江戸幕府の許可を得て正保3年(1646)から10年がかりで、白旗ヶ峰山麓から山腹にかけて近世大名の居城として大改築を行った。
 以後、二本松城は丹羽氏10代の居城として明治維新を迎えるが、慶応4年(1868)7月の戊辰戦争では、二本松藩は新政府軍に対して徹底抗戦の構えを崩さず、新政府軍の猛攻撃を受ける。二本松の藩兵のほとんどは白河口に出撃し、城は老人と少年隊士が守るだけで、わずか数時間の戦闘で陥落してしまった。
一口話  戊辰戦争の少年隊といえば会津若松の白虎隊の集団自決が頭に浮かぶが、二本松少年隊の討死は悲壮さにおいて白虎隊以上のものがあった。
 二本松藩では少年たちの嘆願により12歳から17歳まで62人の少年隊を組織し、城を守らせていた。薩長を主体とした新政府軍は7月29日の早朝、濃い霧の中から突如として二本松城に襲いかかった。少年隊は自分の体よりも長い刀を振るって奮戦したが、新政府軍の銃弾に次々と倒れていった。この時に戦死した16人の少年たちは丹羽家の菩提所である大隣寺に静かに眠っている。
見どころ  二本松城は標高354mの白旗ヶ峰山頂に築かれた少年隊群像中世の山城と、丹羽氏が築いた山麓の近世城郭からなり、山麓にはよく霞がたなびくので霞ヶ城とも呼ばれていた。
 現在、二本松城跡は霞ヶ城公園として整備され、入り口には昭和57年に箕輪門、二階櫓、多復元箕輪門門櫓が復元された。箕輪門は二本松城の正門にあたり、城下の箕輪村山中にあった樫の大木を主材としたことからこの名がある。
 箕輪門下の広場にある戊辰戦争に散った二本松少年隊群像が訪れるものの目を惹く。この地はかつて「千人溜」と呼ばれ、藩兵が集合する場所であり、少年隊士もここから出陣した。
 二本松城跡最大の見どころは山頂の本丸跡。車でも登ることができるが、登山道も良く整備されている。天守台や東櫓台などの石垣は平成に入ってから修天守台築復元されたものだが、なかなか見ごたえがある。本丸跡からは360度の展望が楽しめ、標高1700mの安達太良山の山容が美しい。
 本丸下南面の直線的で緩やかな勾配の大石垣は城跡内で最も古い石垣の一つ。大小の石材をレンガを寝かせるように横積みし、数石しか横目地の通らない「布積み崩し」の積み方で、慶長初年本丸下南面の大石垣頃蒲生氏郷に抱えられた「穴太衆」によって築かれた穴太積みの特徴を良く示している。
 本丸跡から山麓に下りて行く途中に「日影の井戸」が残っている。深さ約16m、今でも豊富な湧水を溜めているこの井戸は千葉県印西市の「月影の井」、神奈川県鎌倉市の「星影の井」と並び「日本の三井」と称されている。
 山腹には戊辰戦争の際に奮戦する少年隊士を浮き彫りにしたレリーフが建つ広場がある。少年隊の丘と呼ばれ、戊辰戦争直前まで砲術道場で学ぶ少年少年隊の丘たちが稽古を行った場所という。少年隊の丘近くには搦手門跡の石垣が残っている。
 城跡内には江戸時代から今も絶えることなく、安達太良山の中腹から延々10数kmの峰々をつたわり豊富な水を運んでいる用水が流れている。「二合田用水」と呼ばれ、灌漑、防備、防火などの目的で工事が行われてきた。
 山麓に残る「るり池」、「霞ヶ池」は二合田用水から水を引き入れたもので、江戸時代の面影を搦手門跡今に残している。
 霞ヶ城公園は庭園が美しく、春から初夏にかけて桜、ツツジ、藤などが咲き乱れ、秋は特に園内の3会場で大々的に催される菊人形展が有名。
 白旗ヶ峰の山頂に築かれた山城は前面に阿武隈川が流れ、三方を峻険な山々に守られた天然の要害であった。山頂部分は本城・東城・西城と3つの曲輪から構成され、今に残る石垣などに南北朝時代から戦国時代にかけての二本松城を偲ぶことができる。
周辺案内  大隣寺は二本松城主丹羽家の菩提寺で、境内には丹羽氏歴代の墓のほか、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊の墓があり、参詣人が絶えない。二本松少年隊の遺品も数多く収蔵されているので、是非見学したい。
 二本松駅の東方約2kmの阿武隈川のほとりに岩手という鬼が住んでいたという、能や歌舞伎で有名な安達ヶ原がある。岩手は京都の公家屋敷の乳母であったが、数奇な運命をたどって鬼となったもので、市川猿之助得意の「黒塚」はこの岩手という鬼を主人公にした舞踊劇である。能や歌舞伎の愛好家にとっては是非訪れたいところ。
 安達ヶ原の近くには『智恵子抄』で有名な彫刻家高村光太郎の妻智恵子の生家があり、智恵子記念館として当時の姿そのままに復元され、智恵子ゆかりの品々が展示されている。

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