徳 島 城
河川を巧みに利用した蜂須賀氏15代の居城
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地図 ![]() |
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| 復元鷲の門 |
| 歴 史 | 南北朝時代の至徳2年(1385)四国の南朝方を破った 細川頼之(室町幕府の管領)が城山に小城を築いたのが徳島城の始まりである。風光の美しさが中国の渭水に似ていることから渭津、渭山城と称した。その後、しばしば阿波の豪族の居城するところとなり、永禄年間(1558〜1569)には山上の渭山城に森高次、麓の 寺島城に福良吉武が居城していた。天正10年(1582)長宗我部元親が四国を平定し、阿波国も長宗我部氏の支配するところとなったが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国征伐で長宗我部氏は追放され、秀吉は阿波一国を家臣の蜂須賀正勝に与えようとした。しかし、正勝は老いの身ゆえに子の家政に与えられるよう申し出で、かくして蜂須賀家政は阿波一国18万石の大名となり、直ちに徳島城の築城に着手。 ![]() 徳島城築城工事は従来の渭山、寺島2城を併合する大規模なもので、内堀と外堀には河川を利用して、標高約61mの城山に本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸を階段状に配し、南麓には御殿、西麓には隠居した藩主などが居住した西の丸を設けた。 ![]() 徳島城の築城に際しては、豊臣秀吉の命により、伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶などが支援し、天正15年(1587)に完成した。 蜂須賀家政の嫡男至鎮(よししげ)は元和元年(1615)の大坂の陣の軍功により淡路一国8万国を加増され、以後、蜂須賀氏は阿波・淡路26万石の大名となり、徳島城は蜂須賀正勝を初代として、蜂須賀氏15代の居城として明治維新を迎える。 |
| 一口話 | 阿波の人々は蜂須賀家政を初代、徳川幕府は家政の子至鎮を初代藩主としているが、蜂須賀家では家政の父である正勝をもって初代としている。 蜂須賀正勝は元々尾張の野伏の首領で小六と称したが、織田信長の岐阜城攻めに際して、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が墨俣城を築くため頭を低くして蜂須賀小六の助力を請い、世に有名な墨俣一夜城を完成させた。これを機に蜂須賀小六は出世街道を歩み、徳川幕府の時代になっても子々孫々徳島城主として阿波・淡路2ヵ国を領した。 蜂須賀家は信長・秀吉・家康の時代を巧みに生き抜き、戦国時代の下克上を代表する大名であったといえるだろう。 |
| 見どころ | 徳島城跡は徳島中央公園となり、石垣と堀の一部や 表御殿の庭園が残るだけであったが、巽(南東)に位置する表見付の門であった「鷲の門」が平成元年に復元された。脇戸付きの薬医門で、幕府に鷲を飼うからと申し出て建造したことからこの名がつく。堀に架かる下乗橋を渡ると大手門跡で、枡形虎口を形成している。下乗橋は往時は木製の太鼓 橋で、御殿の正面出入口にあたるため、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから下乗橋と呼ばれ、明治になって現在見られるような花崗岩製の水平の橋となった。城山山麓には弁天池と呼ばれる古池が残り、蜂須賀家政の銅像が建つ。戦前は野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀正勝の銅像が建っていたが、戦時中に供出されたため、昭和40年に袴姿の家政の銅像に生まれ変わった。 ![]() 弁天池脇の東坂口から標高61mの城山山頂へ登って行くと東二の丸跡に至る。東二の丸跡には三層の天守が建っていた。天守一階は7間(約14m)四方の大きさであったが、天守台は築かれず、本丸から一段下がったところに天守が設けられていたのも徳島城の特徴。 東二の丸跡の上段が本丸跡で、見事な高石垣が目を惹く。弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が建っていた本丸跡は実に広々としている。本丸跡からの眺望は素晴らしく、徳島市街や眉山が一望できる。 虎口を通って西坂口へ下って行くと鉄砲櫓と帳(とばり)櫓が設けられた西二の丸跡、さらに西三の丸跡へと至るが、随所に残る石垣は見事で、徳島城の在りし日の姿を彷彿とさせる。山麓の御殿跡には平成4年に「徳島城博物館」が建てられた。往時の阿波水軍の活躍を物語る全国唯一の大名鯨船「千山丸」(国の重要文化財)のほか、蜂須賀家に伝わる鎧兜や書画などが展示されているが、 中でも御殿の精巧な復元模型は一見に値する。徳島城博物館前に残る「旧徳島城表御殿庭園」は城山を借景にした桃山様式の庭園で、阿波の青石を豪壮かつ繊細に配置した枯山水と築山池泉を組み合わせた名園。 作庭者は関ケ原の合戦で石田三成方の西軍に参加した後、蜂須賀家政の庇護を受け、後に広島藩主浅野家の家老に招かれた武将茶人・上田宗箇(そうこ)で、国の名勝に指定されている。京都の金閣寺、大徳寺の玄仙院の庭園などとともに、日本でも屈指の名庭園といえよう。 |
| 周辺案内 | 徳島といえば頭に浮かぶのが阿波踊り。毎年8月12日から15日まで繰り広げられる阿波踊りには一度は参加したいものである。「踊る阿呆に見る阿呆」と全国的に有名な阿波踊りは400年の歴史を持つ夏祭りで、開催中には全国から大勢の観光客が押し寄せる。「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山・・・」と万葉集にも歌われた眉山(びざん)は徳島市のシンボルで、山頂へはロープェイが通じ、山頂からは淡路島や紀伊半島まで一望できる。 眉山山麓にある瑞厳寺には江戸中期の池泉回遊式庭園があり、境内に残るキリシタン禁教時代に信仰の対象として造られたキリシタン灯籠も見逃せない。 近松門左衛門の浄瑠璃「傾城阿波鳴門」で有名な阿波十郎兵衛屋敷を訪ねるのも良いだろう。地元保存会の手で上演される人形浄瑠璃は地方色豊かでなかなか面白い。 |