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川 島 城

吉野川に臨む要害堅固な城

 所在地:徳島県吉野川市川島町川島
 築城年:元亀3年(1572)
 築城者:川島兵衛之進
 形  式:平山城
 遺  構:曲輪跡、模擬天守

 地図 
模擬天守
歴 史  室町時代も末期になると、阿波国では三好氏が主家本丸跡の細川氏を凌ぐ勢いとなり、その三好氏の家臣であるこの地の豪族川島兵衛之進が元亀3年(1572)、吉野川に臨む天然の要衝の地に城を築き、川島城と名付けた。
 その川島兵衛之進も天正7年(1579)四国統一を目指す土佐の長曾我部元親軍と戦って敗れ、阿波の諸将一族とともに討死。
 その後、天正13年(1585)蜂須賀家政が豊臣秀吉によって阿波一国を与えられると、家政は徳島城の防衛基地として阿波岩の鼻国内の要地9ヶ所に城を築かせ、家老の林能勝をこの阿波九城の一つである川島城主とし、城下町の経営にあたらせた。
 林能勝は後に道感と号し、禄高5千5百石で、城兵300名とともに川島城を守備していた。
 川島城は林氏が3代にわたって居城し、阿波九城の中でも特に重要な位置を占めていたが、江戸時代に入って、元和元年(1615)の一国一城令により、川島城は他の八城とともに寛永15年(1638)に廃城となった。なお、川島には江戸時代を通じて阿波徳島藩の奉行所が置かれ、明治維新を迎える。
一口話  下克上の時代、室町幕府管領細川晴元の執事であった三好長慶は主家を凌いで京に侵出して勢力を拡大。
 阿波国は長慶の片腕で実弟の三好義賢とその子長治が支配することになる。この地の豪族で細川氏の家臣であった川島兵衛之進も三好氏に仕える身となった。
見どころ  川島城は吉野川に突き出た「岩の鼻」と呼ばれる二の丸跡に建つ川島神社断崖上に築かれた要害堅固な城であった。
 現在、川島城跡は川島万葉植物園となっているが、二の丸跡には川島神社が建ち、その東側に観光用の三層模擬天守が岩の鼻から眺める吉野川昭和56年に建てられた。天守内部にはレストランや貸しホールなどがあり、天守としては異色の存在である。
 川島神社はもともとは浮島八幡宮で、古来より川島の地頭や川島城主の崇敬が厚かった古社。
 本丸跡である「岩の鼻」の展望台に立つと、眼下に吉野川の清流が眺められ、その断崖の高さから川島城が要害堅固な城であったことが実感できる。
周辺案内  学(がく)駅というJRの珍しい名の駅がある。合格祈願にふさわしい駅名として、入場切符は昭和49年頃からブームとなり、昭和55年の総体で徳島県を訪れていた秋田県の高校生が100万枚目を買ったというエピソードもある。
 川島には三好氏の家老であった篠原長房が築いた上桜城跡もあるので、あわせて見学したい。

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