岡 城
「荒城の月」で全国に知られた難攻不落の城
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| 三の丸跡の石垣 |
| 歴 史 | 岡城は平家が壇ノ浦で滅亡した文治元年(1185)、 豊後の豪族である緒方惟栄(これよし)が、源義経を迎えるために築城したのが始まりと伝えられている。南北朝時代には豊後の守護であった大友氏の一族の志賀貞朝が岡城に入城し、天神山に本丸を築くなど大改築を行ない、以後 、志賀氏代々の居城となった。天正14年(1586)豊臣秀吉の九州征伐に先駆けて、九州統一を目指していた薩摩の島津義久は3万余の軍勢を率いて豊後の諸城をことごとく攻め落とし、岡城に迫った。時の岡城主志賀親次(ちかよし)の兵はわずか千名だったが、親次は少しも恐れることなく、3度にわたる島津勢の大軍の攻撃をことごとく撃破してこれを退け、難攻不落の城として岡城の名を天下にとどろかせた。 文禄2年(1593)大友氏の当 主大友義統(よしむね)が豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、敵の大軍来襲の報せに前線より逃走したことから豊臣秀吉によって改易され、大友氏一族の志賀氏も岡城から追放された。翌文禄3年(1594)播州三木より中川秀成が7万石で岡城 主となる。秀成は城の大修築にとりかかり、3年の歳月をかけて二の丸・三の丸を整備、本丸には三層三階の天守と本丸御殿、二の丸には月見櫓・御風呂櫓、三の丸には武器庫などを築いた。岡城が7万石に過ぎた城といわれたのもあながち誇張とはいえない。中川氏は岡城を離れることなく、12代続いて明治維新を迎えたが、その間、度重なる地震で天守や月見櫓などが崩壊し、その他の建物も明治4年に取り壊され荒城と化した。 |
| 一口話 | 豊後竹田で12歳から3年半を過ごした薄命の作曲家滝廉太郎にとって荒れ果てた岡城跡は格好の遊び場であった。名曲「荒城の月」は廉太郎の心に刻み付けられた岡城跡のイメージから作られたものである。 滝廉太郎は明治時代、西洋音楽と日本の叙情性を巧みに融合させた作風で天才と賞賛されながら、23歳の若さで他界した。しかし、「荒城の月」は日本中の人々に愛唱され続け、それとともに岡城跡の名も全国に知られるようになった。 |
| 見どころ | 岡城は阿蘇山の溶岩台地を流れる稲葉川と白滝川の浸食に よって出来た標高325mの天神山山頂に築かれ、2つの川が深い渓谷となり、四方が絶壁という天然の要塞であった。岡城跡は国の史跡に 指定され、巨大な石垣群が残るだけで、まさに「荒城」と呼ばれるのにふさわしい山城である。現在では駐車場になっている惣役所跡から「荒城の月」のメロディーを聞きながら登城道を登ってゆくと大手門跡。志賀氏時代の大手門は東向きであったが、朝日がまぶしいため、中川秀成が加藤清正の助言により西向きに築きなおしたと伝えられ、古大手門跡も残っている。 大手門跡から平坦な道を100m ほど進むと主郭部の堅牢な石垣が見えてくる。貫木門跡を過ぎると太鼓櫓門跡。太鼓櫓門は本丸・二の丸・三の丸への出入り口で、この門跡の石垣には城内では最も大きな石材を使用し、「切り込みはぎ」という最高の技術を用いた石垣で、見事というほかはない。太鼓櫓門跡を過ぎると志賀氏時代に城主が居住した三の丸跡。こ こから九重連山の美しい山並みが見渡せる。三の丸跡は清水谷の底から約70mの高さにあり、急な絶壁に石垣が築かれ、二の丸跡も石垣の下は地獄谷と呼ばれる深い谷で、石垣の上から眺めると足が震えるほどである。 二の丸跡には73mの深さがある空井戸があり、滝廉太郎の銅像が建っている。本丸跡の三重櫓跡と御 金倉跡の高石垣も見事で、本丸跡から眺める周囲の山々の眺めは素晴らしい。大手門跡近くに西の丸御殿跡がある。主郭部とは清水谷を隔てたところで、江戸時代後期には藩政の中心的場所であった。 岡城跡に登った後、道路上から改めて、白滝川を隔てて高く聳える断崖絶壁の上に延々と巨大な石垣群が続く岡城跡の全容を眺めれば、わずか千名の籠城軍で島津勢3万の大軍を退けたという難攻不落の城だったということが実感できる。 |
| 周辺案内 | 豊後竹田は山々に囲まれた静かな町で、中心街にはトンネルをくぐってしか行けない全国でも珍しい町である。 まず、豊後竹田が生んだ江戸時代末期の南画家の巨匠田能村竹田(たのむらちくでん)の旧居跡である旧竹田荘を訪れたい。小高い崖の上に建てられた風流な屋敷である。その崖の下には歴史資料館があり、竹田氏の歴史を学ぶことが出来る。「荒城の月」のメロディーが流れる小さな廉太郎トンネルを抜けると滝廉太郎記念館がある。23歳の若さで亡くなった天才作曲家滝廉太郎の自筆の楽譜などを展示しているほか 、その生涯と足跡を紹介したビデオも上映され、岡城跡とともに豊後竹田の観光名所として多くの人が訪れている。滝廉太郎記念館の側には一部ながら武家屋敷の土塀などが残り、城下町の風情を感じさせる。 阿蘇山系の伏流水が湧き出る竹田湧水群は日量7万トンという日本でも有数の湧水量を誇り、日本名水百選に選ばれている。それぞれ個性的な湧水が点在しているので是非訪れて、この名水を味わうのも豊後竹田への良き旅の思い出となるだろう。 |