飫 肥 城
(おびじょう)
島津氏と90年に及ぶ攻防戦を繰り広げた伊東氏の居城
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| 復元大手門 |
| 歴 史 | 飫肥城は宇佐八幡宮の神官の出で、日向の地に武士団 として勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられ、飫肥院とも呼ばれていた。工藤祐経(すけつね)の嫡子祐時を祖とする伊東氏は都於郡城を拠点に、日向国に次第に勢力を拡大して北に土持氏を追いやり、南では島津氏と対峙。 室町時代末期の長禄2年(1458)九州制覇を狙う薩摩の島津氏が日向で勢力を蓄えてきた伊東氏の南下に備えて、志布志城主で島津氏の一族である新納忠続(にいろただつぐ)を飫肥城に入城させた。応仁の乱後の文明16年(1484)伊東氏十一代祐尭(すけたか)・十二代祐国父子が飫肥城に立て籠もる新納氏を攻撃して以来、島津氏と伊東氏による飫肥城争奪戦が繰り広げられた。 伊東氏は一時、島津氏に敗退 したが、伊東祐国の孫にあたる伊東氏十六代義祐が飫肥城を奪取して日向国内に48城を構え、日向を代表する戦国大名にのしあがった。しかし、伊東義祐は元亀3年(1572)木崎原の合戦で島津勢に大敗。さらに天正5年(1577)島津氏に追われ、伊東氏一族は豊後国の大友宗麟を頼って亡命。ここにおよそ90年間に及ぶ島津氏との飫肥城争奪戦の幕は閉じることになる。 しかし、天正15年(1587)豊臣秀吉による九州征伐で軍功をあげた伊東氏十九代祐兵(すけたけ)が、翌天正16年(1588)5万1千石を与えられて飫肥城主に返り咲き、以後、飫肥城は祐兵を初代とする伊東氏14代の居城として明治維新を迎える。なお、貞享元年(1684)の大地震で飫肥城は大被害を蒙ったため、多大な労力と歳月を費やして大修築工事を行い、元禄6年(1693)に完成したのが今に残る飫肥城跡である。 |
| 一口話 | 飫肥城主伊東氏は曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の末裔である。工藤祐経は鎌倉幕府を開いた源頼朝に重用され、建久元年(1190)日向国をはじめ全国各地の地頭職に任じられた。 その嫡子祐時から伊東姓を名乗り、六代祐持の時には室町幕府を開いた足利尊氏に味方し、日向国都於郡に300町を賜って伊豆の国から日向に移住。これが日向伊東氏の始まりである。 |
| 見どころ | 飫肥城は蛇行する酒谷川に面した小丘陵の上に築かれ た平山城で、城域は周囲2.5kmにも及ぶ広さで、本丸・中の丸・西の丸などの周囲を空堀で囲んでいた。飫肥城跡に残る遺構は飫肥石で畳みあげた「切込ハギ」という手 法で築かれた石垣ぐらいだが、昭和53年に復元された大手門は樹齢百年以上の飫肥杉を使用したもので、往時の石垣や石段などを巧みに利用し、白壁をめぐらした堂々とした城門。大手門の左右には一部ながらも空堀が今も残る。大手門から松尾の丸に至る登城道は飫肥杉が生い茂り、石段と石垣、城壁があいまってなかなか風情がある。 松尾の丸には昭和54年に飫肥杉の百年杉を利用して江戸時代初期の書院造の御殿が再現された 。この建物は御座の間・茶室・御寝所・湯殿・台所・御倉などからなるが、このうち湯殿は京都西本願寺の国宝飛雲閣を模したこけら葺きの総桧造りである。元禄6年(1693)に完成した本丸跡は、今では飫肥小学校のグラウンドとなっているが、本丸が完成するまで藩主の御殿があった旧本丸跡が松尾の丸の 北側に残っているので、是非訪れたい。旧本丸跡へ至る石段と虎口、石垣、それを取り囲む土塁は往時の飫肥城の面影を良くとどめ、北門も復元されている。 大手門から向かって右側に折れると櫓風の飫肥城歴史資料館が建ち、飫肥藩伊東氏や家臣たちに伝えられてきた甲冑・刀剣・武具・古文書などの歴史資料が多数展示されている。資料館近くには昭和40年に復元された鐘楼もある。 大手門手前には旧伊東邸の「豫章 館(よしょうかん)」があり、建物そのものも見事だが、何よりも手入れの行き届いた枯山水の庭園も美しい。もともと伊東家の家老伊東主水(もんど)の屋敷であったが、明治2年、飫肥藩主伊東祐帰(すけより)が知事に任命されて城内から父祐相(すけとも)とともに移り住んだ屋敷で、邸内にあった大楠にちなんで「豫章館」と名付けられた。現在の飫肥城跡は約90年に及ぶ伊東氏と島津氏の攻防戦が繰り広げられた古戦場の舞台であったとは思えない。平和な時代となった元禄時代に大修築された城跡であるためであろう。 |
| 周辺案内 | 飫肥城跡を見学した後は日向の小京都と呼ばれる飫肥の城下町を散策したい。横馬場通りはかつての重臣の武家屋敷が建ち並び、旧伊東伝左衛門家が内部公開されている。この近くには飫肥藩校であった振徳堂があり、母屋や玄関、長屋門などが江戸時代の佇まいをみせている。大手門前には日南市国際交流セン ター・小村記念館が建っている。日露戦争の終結にあたってポーツマス条約に調印した飫肥出身の時の外務大臣小村寿太郎の資料を数多く展示し、国際交流を呼びかけているので是非見学したい。下町に行けば商家資料館がある。江戸時代の山林王であった豪商山本五兵衛の邸宅を改造したもので、各種秤や算盤など当時の商売用民具を展示している。付近は商人町通りとして歴史を偲ばせ、武家屋敷通りとともに伝統的建造物保存地区となっている。 |