平 戸 城
山鹿流で築かれた松浦氏12代の居城
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| 模擬天守 |
| 歴 史 | 松浦党は平安時代末期から瀬戸内海の村上水軍と並び賞され た鎮西の水軍で、上松浦と下松浦に分かれて勢力を誇っていた。下松浦の棟梁であった二十六代法印松浦鎮信(しげのぶ)は豊臣秀吉の九州征伐に従ったため、松浦郡の一角と壱岐を安堵され、慶長4年(1599)平戸の亀岡に日の岳城を築城して 居城。これが平戸城の始まりである。しかし、家督を継いで日の岳城主となった松浦久信が急死。時の天下人である徳川家康は豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。このため、松浦鎮信はその疑いを晴らすため、慶長12年(1607)自ら日の岳城に火を放って焼却。日の岳 城の北側の山中に館を構えて居館し、平戸6万1千石を守り通した。以来、松浦家は約90年間を「御館」で過ごすが、元禄15年(1702)二十九代天祥松浦鎮信は徳川幕府に新たに築城を願い出て、翌年に許可された。築城に際して、鎮信は師匠である軍学者山鹿素行の教えを受けて縄張りを行なった。築城工事は三十代雄香松浦棟(たかし)によって元禄17年(1704)に着工、宝永4年(170 7)に雄香松浦棟は山中の館を廃して平戸城二の丸御殿に居住するが、平戸城が完成したのは享保3年(1718)で、実に長い年月を要した。以後、平戸城は天祥松浦鎮信から数えて松浦氏12代の居城として明治維新を迎える。松 浦氏の禄高は6万1千石に過ぎなかったが、実収は密貿易などによって20万石以上といわれた。同じ松浦党でも上松浦の棟梁波多守親は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、非協力的な態度を示したため名護屋城に出陣していた秀吉に憎まれ、筑波山麓に追いやられて自殺した。これに対して、下松浦の松浦氏は秀吉、徳川幕府の下で巧みに生き抜き、古代からの名族である松浦氏の命脈を保持したといえる。 |
| 一口話 | 戦国時代から江戸時代初期にかけて平戸は南蛮文化が栄え、海外との貿易の中心地であった。平戸にオランダ船を招き、オランダ商館を建てたのは初代藩主松浦鎮信であった。徳川幕府の鎖国政策でオランダ商館は長崎の出島に移されたが、平戸藩が鎖国時代も密貿易で栄えたのも初代藩主の意気込みを受け継いだからであろう。 江戸時代後期の九代藩主松浦静山は『甲子夜話』の著者として名高い。大名や旗本の逸話、市井の風俗などを描いた随筆で、江戸時代を知る名著として現在もなお多くの人々に読まれている。 |
| 見どころ | 平戸城は平戸瀬戸に突き出したほぼ円形状の標高53mの亀岡山に築かれ、山鹿流の縄張りによる日本唯一の平山城であった。現在、平戸城跡は亀岡公園として整備されているが、城跡への入口に建つ北虎口門とそれに続く二層の狸櫓は江戸時代の貴重な遺構で、北虎口門近くに は井戸も残っている。一層の狸櫓は正式には多門蔵だが、次のような伝説があることから狸櫓と呼ばれるようになった。櫓の下に狸が住みだし、修理のため床板を剥ぎ取ったところ、小姓に化けた狸が城主の寝所にやって来て「狸の一族を櫓に住まわせて頂ければ、末長く守護します」と嘆願したので、城主は早速床を元通りにしてやったというものである。 昭和37年に三層五階の天守をは じめ、乾櫓・地蔵坂櫓・見奏櫓・懐柔櫓・本丸前門が復元され、往時の雄姿が蘇った。中でも見奏櫓と懐柔櫓は平戸瀬戸に面して丘陵上に建てられ、風光 明媚。天守内部には「乙宮御神号鎧」をはじめ平戸松浦藩ゆかりの文化財が展示され興味深い。特に天守最上階からの展望は実に素晴らしく、眼下に平戸瀬戸の急潮や黒子島の原生林、朱塗りの平戸大橋、良く晴れていれば遥かかなたに玄界灘に浮かぶ壱岐島も一望できる。 二の丸跡の虎口や横矢枡形などが山鹿流の特徴を良く伝え、随所に残る石垣も往時の姿を今に伝えている。 |
| 周辺案内 | 平戸は歴史を感じさせる町で見どころも多い。聖フランシスコ・ザビエル記念教会へ登る道は光明寺などの寺と記念聖堂の尖鋭な屋根と十字架が望まれ、和洋が見事に溶け合った平戸ならではの風景といえよう。ザビエル記念教会は教会内に入ると厳粛な気持ちにさせられる。崎方公園には三浦按針の墓がある。三浦按針(ウイリアム・アダムス)は日本に来た最初のイギリス人で、徳川家康の外交顧問として召し抱えられ、晩年には平戸のイギリス商館長コックスの下で活躍し、この地で病死した。 国指定建造物であるオランダ橋(幸橋)や国指定史跡のオランダ塀も見逃せない。オランダ塀はオランダ商館を隠すように建てられた塀で、現在では30 m余りの石塀が異国情緒を漂わせている。松浦資料博物館は明治26年に松浦氏の邸宅として建てられたもので、石垣の上に建つ外観も一見の価値があるが、展示品の一つ一つが長い歴史を語る貴重な資料。特に皇室よりの御下賜品、松浦党水軍に関する資料、貿易時代の西洋からの渡来の品々、豊臣秀吉のキリシタン禁制文などが興味深い。 九州の高野山といわれる最教寺の霊宝館で重要文化財を含む密教美術の数々を見学するのも良いだろう。日本一の規模を誇る三重大塔では「胎蔵界めぐり」のスリルも味わえる。 |