綾 城
670年ぶりに蘇った伊東氏48城の一つ
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地図 |
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| 模擬天守 |
| 歴 史 | 綾城は今からおよそ670年前の元弘年間(1331〜 1334)、足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命じられ、その子細川義遠は収納使として綾を領有して綾城を築き、綾氏と称した。綾氏は数代にわたってこの地方を治めていたが、室町幕府八代将軍足利義政の頃、都於郡城を本拠として日向国の一大豪族にのし上がった伊東氏の家臣となった。このため、綾城は日向伊東氏48城の一つとなり、伊東氏の拠点として重要な 役割を果たした。しかし、天正5年(1577)伊東氏十六代義祐が島津氏に敗れ、本城である都於郡城を捨てて豊後国の大友宗麟を頼って落ち延びることになる。 この際、時の綾城主佐土原遠江守は伊東義祐を城内に迎え入れ、島津勢の追手から身を守る策を進言したものの、島津氏の勢いには勝てず、綾城は島津氏の支配するところとなった。 時代は下って江戸時代になると、元和元年(1615)の一国一城令により綾城は廃城となる。 |
| 一口話 | 刀工田中国廣は綾町古屋に生まれ、幼い時から父のもとで鍛刀に励み、伊東氏に仕えていた。 伊東氏が豊後に落ち延びた後、京に出て修行を重ねた国廣は石田三成など中央の人々とも交わり、新刀の開祖とまでいわれるようになった。天正14年(1586)に打った刀は日州古屋住国廣作として国の重要文化財に指定されている。 |
| 見どころ | 綾城は数回にわたる調査に基づいた想定により、昭和60 年に日本ではじめての戦国初期城楼を構築した城で、実に670年の歳月を経て伊東氏48城の一つが蘇ったことになる。望楼を備えた天守のほか、城門や物見台、城柵を築くとともに、これらに調和した形で工芸品の展示、販売所や陶器・織物などの教室が開かれる工芸実習館が建てられ、総合して「綾国 際クラフトの城」と呼んでいる。戦国初期の城楼を模した木造造りの天守は入母屋の二層櫓の上に望楼を乗せた様式で、内部には綾城にまつわる資料が展示され、望楼の上からの眺めは素晴らしい。城内の一角には刀を鍛える姿の田中国廣の銅像も建っている。 城内のなかに物見台が建つ城は珍しく、手入れの行きとどいた城内を散策すれば、中世の響きがかすかに聞こえてくるような気がする。 |
| 周辺案内 | 綾町は原生の照葉樹林が今なお残る自然の里で、 照葉樹林文化館では自然生態系と人間との関わりを展示、紹介している。清く澄んだ綾南川に架かる綾の照葉大吊橋は水面からの高さ142m、長さ250mもあり、吊橋としては日本一という。歩いてみればスリル満点。 照葉樹林が豊富に蓄えた水は綾北川、綾南川となり、滝や淵が美しく、その湧水群は環境庁の「名水百選」に選ばれ、名水のシンボルとして造られた名水庭園もある。 「酒泉の杜」は本格的な観光ワイン工場で、綾産の葡萄から綾ワインが出来るまでの工程の見学や試飲が出来る。また、ビール工房では綾の清流で仕込まれた出来立ての地ビールが楽しめる。 |