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高 田 城

天下普請で築城した越後の近世城郭

 所在地:新潟県上越市本城町
 別  称:鮫ヶ城
 築城年:慶長19年(1614)
 築城者:松平忠輝
 形  式:平城
 遺  構:土塁、堀、郭
      復元櫓・塀・橋

 地図 
復元三重櫓
歴 史  慶長3年(1598)春日山城主上杉景勝が豊臣秀吉に極楽橋(復元)よって会津に移封されると、替わって越前北ノ庄から堀秀治が春日山城主となる。
 慶長7年(1602)堀秀治は春日山城が山城であったため、越後府中(直江津)の平地に福島城の築城に着手したが、慶長12年(1607)福島城完成の前年に死去。
 嫡男の堀忠俊が家督を相続したものの、若年で統率力に欠け、家臣団の大手枡形跡の土塁間に騒動が起きたことから慶長15年(1610)に改易。替わって徳川家康の六男である松平忠輝が信濃川中島とあわせて75万石で福島城主となる。
 松平忠輝は慶長19年(1614)徳川幕府の命による天下普請で、菩提ヶ原と呼ばれていた地に新しい近世城郭として高田城の築城工事に着手した。
 普請には13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅の伊達政宗(陸奥仙台城主)が就任し、前田利常(加賀金沢城主)、上杉景勝(出羽米沢城主)、蒲生氏郷(会津若松城主)、最上家親(出羽山形城主)などの大藩が築城に従事した。本丸跡
 これには大藩に経済的圧迫を加え、佐渡金山の支配など、幕府権力の強化を図る家康のもくろみがあったとみられる。
 元和2年(1616)大坂の陣での不手際から松平忠輝は改易。替わって上野高崎から酒井家次が入封したが、元和4年(1618)酒井氏二代忠勝が川中島へ移封。替わって川中島から松平忠昌が高田城主となる。
 内堀寛永元年(1624)松平忠昌が越前北ノ庄へ移封されると、越前北ノ庄から松平光長が26万石で入封。松平光長は地震で倒壊した二層櫓を三層の櫓に改築するなど、城の整備を行った。
 延宝9年(1681)家督相続をめぐるお家騒動で松平光長は改易。その後、稲葉氏、戸田氏、松平氏の譜代大名が高田城主となるが、寛保元年(1741)播州姫路から榊原政永が15万石で入封。以後、高田城は榊原氏6代の居城として明治維新を迎える。
一口話  天下普請によって築かれた高田城は慶長19年3月15日に着工し、7月上旬にはほぼ完成した。
 外堀を含めると60ヘクタールを越える大城郭が約4ヶ月で出来上がったことになるが、これには、大坂の陣を控えて加賀の前田氏、出羽の上杉氏など豊臣恩顧の大名を牽制し、江戸の背後を固めるため、徳川家康が突貫工事を命じたという背景がある。
見どころ  高田城は石垣を用いずに土塁と堀で築かれ、本丸・内堀と復元された三重櫓二の丸・三の丸を配した近世城郭であった。天守は築かれず、本丸南西隅の「御三階」と呼ばれる三重櫓が天守の代用で、大手門から城下町を広く見渡せたという。石垣を用いない近世城郭は全国でも珍しい。
 現在、高田城跡は高田公園として整備され、本丸跡と内堀、二の丸跡・三の丸跡を取り囲む外堀が北・西・南に残っている。塀(復元)
 内堀(薬研堀)は幅40〜50m、長さは約1kmにも及び、高さ10m前後の土塁とのコントラストが美しい。
 二の丸跡から内堀に架かる木造の極楽橋を渡ると本丸大手跡。極楽橋は平成14年に発掘調査に基づいて復元されたもの。本丸大手跡には枡形を形成した土塁が良く残っている。
 本丸跡の大部分は上越教育大学付属中学校の敷地となっている内堀と土塁が、南西隅の土塁上に、往時には「御三階」と呼ばれた三重櫓が平成5年に復元され、高田城跡のシンボルとなっている。
 木造三層三階の櫓で、1階と2階には高田城に関する資料が展示され、3階は展望室となり、城跡と高田市街が一望できる。櫓の東側に付随して50mほどの塀も復元されている。二の丸跡から内堀越しに眺める三重櫓は小振りながら絵になる風景。
 幅広い外堀には明治時代の初期にレンコンの栽培のためにハスが植外堀えられ、毎年7月下旬から8月中旬にかけて美しい花を咲かせる。外堀を埋め尽くすハスの規模は壮観で、赤白の花が混じっているのは稀少だという。
 高田公園とその周辺には約4千本の桜が植えられ、宵闇にライトアップされた三重櫓と桜が堀の水面に映える幻想的な光景は記念切手にもなり、日本三大夜桜の一つといわれている。
 内堀に沿って累々と築かれた土塁と復元された三重櫓を眺めながら散策すれば、越後を固めていた在りし日の高田城の一端が偲ばれる。
周辺案内  春日山城跡と高田城跡を見学した後は淨興寺に参拝したい。淨興寺は約750年前に親鸞上人が創建した古刹。浄土真宗の根本経典である『教行信証』の執筆を終えたことを喜んで庵を淨興寺と名付けたことに由来する。
 現在の本堂は江戸時代の建築だが、新潟県内では最大のもので国の重要文化財に指定されている。また、本堂の北側には親鸞上人の「御頂骨」を安置した御本廟がある。

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