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春 日 山 城

戦国大名の雄上杉謙信の要害堅固な大城塞

 所在地:新潟県上越市中屋敷
 別  称:鉢ヶ峯城
 築城年:永正年間(1504〜1518)
 築城者:長尾為景、
 形  式:山城
 遺  構:土塁、空堀、曲輪、井戸、堀
      復元柵列・番小屋、移築城門

 地図 
本丸跡
歴 史  春日山城の築城年代は定かでないが、南北朝時復元された大手道代には越後守護上杉氏の守護代である長尾氏の拠点の一つであったという。
 応仁の乱後の下克上の時代となると、長尾為景(上杉謙信の父)は守護の上杉房能(ふさよし)を殺害し、同族の上杉定実を守南三の丸跡護にして越後の実権を手中にした。
 永正年間(1504〜1518)長尾為景はそれまでの居城であった府中(直江津)から頸城平野と日本海を見下ろす標高180mの鉢ヶ峯の頂に春日山城を築城した。
 天文5年(1536)春日山城で長尾為景が没すると、その子の長尾晴景が家督を継いだが、晴景は病弱であったため、守護職上杉氏の養子問題に絡む動乱をおさめきれず、越後内の豪族たちは各地で戦いに明け暮れた。大井戸
 その戦火が中越地方にも広がってきたため、晴景は春日山城下の林泉寺で修行の日々を送っていた弟長尾景虎(後の上杉謙信)を自分の名代として中越の要であった栃尾城に送り込んだ。時に天文12年(1543)、景虎14歳の時のことである。
 毘沙門堂(復元)若輩ながら景虎は国中を平定。周辺の諸将は景虎を守護代に推挙し、兄晴景と争った末、天文17年(1548)19歳で守護代職に就き、春日山城主となった。
 天文21年(1552)には小田原北条氏によって追放された関東管領上杉憲政を迎え入れ、その名跡を譲られて上杉姓を名乗ることになる。
 上杉謙信は春日山城を大修築し、春日山神社境内に建つ上杉謙信の銅像その身は遠征に明け暮れた。三国峠を越えて関東に出陣すること十数回、信州川中島で武田信玄と相まみえること五度、能登・加賀へは十度も出陣。謙信にとってすべての戦いは他国を侵すものを討つという正義の戦いであった。
 天正6年(1578)その謙信も脳出血で倒れ、49歳の生涯を閉じた。謙信には実子がなく、その死後、跡目相続をめぐ米蔵跡の土塁って景勝と三郎景虎の二人の養子の間に争いが起こった。世にいう「御館(みたて)の乱」である。この乱で勝利をおさめた上杉景勝が春日山城主となり、三郎景虎は自刃。
 上杉景勝は春日山城に20年余在城したが、慶長3年(1598)豊臣秀吉によって会津若松に移封。替わって越前北ノ庄から堀秀治が春日山城主となるが、その子忠俊の時に不便な山城から平地の福島城に移ったため、戦国時代の大要塞春日山城は歴史的な役割を終えた。時に慶長12年(1607)のことである。
一口話  上杉謙信は川中島で武田信玄とにらみ合うなど、生涯に70回もの合戦を重ねるが、領土的野心から自ら戦いを仕掛けたことは一度もなかったという。越後を守り、先祖代々縁のある者や、地方を救う義侠心からの戦いだった。仏の道に生きた戦国武将謙信は降伏する者には慈悲の心を持って迎えたという。
 関東の北条氏康も「後を頼めるのは謙信のみ」と敵ながらその義理堅い人柄を称え、宿敵武田信玄に塩を送ったという逸話にも謙信の心が良く現れている。
見どころ  春日山城は標高180mの鉢ヶ峯山頂の本丸から山裾復元された監物堀と土塁まで、山容を巧みに利用して二の丸・三の丸や屋敷群を連続して構築し、石垣を用いずに自然の起伏を活かした空堀や土塁で防御を固め、さらに山麓には総延柿崎和泉守屋敷跡長1.2kmにも及ぶ堀(監物堀)と土塁をめぐらした総構えの城であった。
 春日山城跡は空堀や土塁、曲輪跡など往時の名残りを良くとどめ、戦国大名の居城にふさわしい大城郭跡として国の史跡に指定されている。
 本丸跡へは山腹の春日山神社から千貫門跡・直江屋敷跡を経て一気に登るコースと、山麓の大手道から南三の丸跡・柿崎和泉守屋敷跡を経て、比較的緩やかな登城道をたどるコースがあるが、戦国の息吹を感じるには、1時間ほどかけて大手道から本丸跡から眺める天守台本丸跡へ登るのが良いだろう。登城道入口には城跡散策マップが置かれているので、それを参考にしながら丹念に見学したい。
 上杉謙信が出陣の際に使ったといわれる御前清水の脇が大手道二の丸跡直下の縦堀入口で、のどかな田園の中に道が続く。江戸時代に描かれた春日山城の古絵図に大手道と記載されていることから、この道が春日山城の玄関口と考えられていたと思われる。
 所々に復元されている大手道を行くと、最初に視界が開けるのが番所跡。大手道の中ほどに位置し、木戸が造られていた土塁が残り、本丸跡が遠望できる。
 番所跡からしばらく行くと深い東城砦に残る薬研堀と呼ばれる空堀谷底があり、ここの急坂を登ると南三の丸屋敷跡。南三の丸跡は「城(ジョウ)の畑」と呼ばれ、今では耕作地となっているが、往時には土塁や堀で区画された郭が連なり、城内で最も重要な屋敷が建てられていたところ。東側裾野から本丸へ至る大手道には、南三の丸跡入口に門が建てられ、登城道以外御成街道は急な斜面を造って敵の侵入を防ぐようになっていた。
 南三の丸跡から登って行くと、上杉謙信の重臣柿崎和泉守景家の屋敷跡があり、城内で最も大きな郭の一つ。
 柿崎和泉守屋敷跡から本丸跡下の二の丸跡まで御成街道と呼ばれる登城道が続く。時の関白近衛前嗣(さきつぐ)が通ったことからこの名がある。
 御成街道途中には謙信の跡を継いだ上杉景勝の屋敷跡がある。景勝屋敷跡とその周辺の屋敷跡は総直江屋敷跡じて大規模で、尾根を巧みに利用して段を削出し、数段で一つの屋敷が形成され、春日山神社から本丸跡にかけての屋敷跡が雛壇状に造られているのとは対照的。
 景勝屋敷跡から深い堀底道を登って行くと、本丸跡西下の井本丸跡から見下ろす二の丸跡戸曲輪跡へ出る。ここには今でも満々と水を湛えた大井戸があり、渇水期でも涸れたことがないという。
 井戸曲輪跡から一段登ったところが本丸跡と天守台だが、本丸西斜面の「油流し」を木々越しに眺めてみたい。敵の侵入を拒むような急斜面で、油を流した時のように滑ってしまうことからこの名がついたといわれている。
 本丸跡は南隣の天守台とともに春上杉景勝屋敷跡日山城の「お天上」と呼ばれたところで、かつての越後府中(直江津)と周辺の山々の支城跡や日本海の眺望が素晴らしい。
 本丸跡からは東側下に設けられた二の丸跡と三の丸跡が見下ろすことができる。三の丸跡には城内で最も良好な状態で土塁が残る米蔵跡、謙信が自らの名を与えて住まわせた三郎景千貫門跡虎屋敷跡などがある。
 三の丸跡から二の丸跡へ向かう途中に残る縦堀は見逃せない。山裾の対馬谷から二の丸の直下にまで延びてくるもので、三の丸や二の丸の防備のために掘られたもの。自然の沢を巧みに利用した深い縦堀で、今では草木が生い茂っているが、往時は掘られた岩盤が露出し、とても登れるものではなかったという。千貫門跡の空堀
 本丸跡の直下にあたる二の丸跡は本丸から護摩堂・毘沙門堂を経てお花畑に至る実城と呼ばれる郭群の東裾を取り巻くように造られた郭で、本丸を帯状に囲って防備を固めていた。
 本丸跡の北側にある護摩堂跡と諏訪堂跡は上杉謙信が戦勝や息災を祈祷したところ。護摩堂跡から一段北側に降ったとこ東城砦に復元された番小屋ろに毘沙門堂が建つ。謙信が信仰する毘沙門天(多聞天)の尊像を祀っていたお堂で、昭和6年に復元された。
 毘沙門堂から一段北側に降ったところがお花畑で、各堂に献ずる花や薬草を植えていたところ。
 お花畑から東側に降って行くと直江屋敷跡。上杉家の重臣直江信綱・兼続の屋敷跡で、絶好の地に上下三段の郭から構成されている。春日山神社
 直江屋敷跡から春日山神社へ降って行く途中に枡形を形成した千貫門跡がある。春日山城の古絵図に必ず描かれている門跡で、三方を土塁と土手に囲まれ、一見道かと思えるような切通しが2本ある。この切通しは実は空堀の底で、侵入者を空堀から急峻な崖下に落とそうという工夫が凝らされている。
 お花畑千貫門跡から多くの屋敷跡があった杉林の中を降りて行くと、上杉謙信を祀った山腹の春日山神社に出る。境内にある記念館には謙信ゆかりの資料が展示され興味深い。境内の一角には川中島の方角を向いた上杉謙信の銅像が建っている。
 春日山城跡北端の山麓には総延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁をめぐらした総構えが築かれていた。現在では春日山城史跡広場となり、監物堀の一部と林泉寺に移築された城門土塁、柵列が復元されている。監物堀は堀秀治の時代に掘られたものだが、中世の山城から近世の城への展開を示す貴重な遺構である。
 史跡広場内の東城砦には掘立柱建物の番小屋が復元され、眼下にはかつては天然の堀であったと思われる長池が見下ろせるほか、逆三角形の薬研堀と呼ばれる深い空堀も残っている。
 山麓にある林泉寺の惣門は春日山城から移築された門で、往時を今に伝える唯一の城門である。
周辺案内  林泉寺山門山麓にある林泉寺は明応6年(1497)越後国の守護代長尾能景(上杉謙信の祖父)が長尾家の菩提寺として創建した寺院。謙信は7歳から、この寺を学問所として修行の日々を送った。上杉景勝が会津へ移封後は越後領主となった堀氏の菩提寺ともなった。林泉寺境内にある上杉謙信の墓
 境内に建つ山門は謙信生誕400年を記念して大正時代に再建されたもので、上部が唐様、下部が和様の総けやき造り。境内奥には上杉謙信の墓がある。
 何よりの見どころは宝物館。謙信が毘沙門堂に安置した毘沙門天像、謙信の肖像画、謙信直筆の「春日山」「第一義」の大額をはじめ、往時を偲ばせる謙信ゆかりの甲冑や馬具、刀剣などが展示されている。

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