[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

柳 生 陣 屋

徳川将軍家剣術指南役柳生氏の居館

 所在地:奈良県奈良市柳生町
 別  称:柳生城
 築城年:寛永19年(1642)
 築城者:柳生但馬守宗矩
 形  式:陣屋
 遺  構:石垣

 地図 
柳生陣屋跡
歴 史  柳生氏は古くから大和国柳生荘の豪族で、南北朝時代、南朝に味方する柳生城が築かれていた古城山柳生永珍(ながよし)が標高320mの山上に城を築いたのが柳生城の始まりといわれている。
 戦国時代に入って、大和統一を目指す筒井氏に攻略されたが、柳生氏が再び世に出るのは永珍より7代後の柳生宗厳(むねとし・石舟斎)の時である。
 柳生宗厳は上泉伊勢守信綱の高弟で、柳生新陰流の祖となり、文禄3年(1594)徳川家康に見い出され、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の功により、柳生陣屋跡の碑柳生の旧領2千石を与えられた。
 寛永13年(1636)宗厳の後を継いだ柳生但馬守宗矩は徳川将軍家の剣道指南役として1万2千5百石の大名となった。柳生新陰流は将軍家だけが学ぶ剣法で、一般への伝授は禁じられていたという。
 柳生宗矩は亡父宗厳の菩提を弔うために芳徳寺を建立、寛永19年(1642)柳生氏の居館として正木坂に陣屋を築いた。
 その後、柳生宗冬の代に柳生陣屋は増改築されたが、延享4年(1747)火災により全焼し、仮建築のまま柳生氏代々の居館として明治維新を迎えた。
一口話  柳生といえば柳生十兵衛が有名。十兵衛は宗矩の長男で、若き日の修練の時、父の剣が誤って目を突き片目を失明。三代将軍徳川家光の剣道指南役を務めていたが、事あってその大役を投げうち、諸国を漫遊して剣の腕を鍛え上げ、当時最高の剣客といわれるようになった。
 やがて郷里の正木坂で道場を開き、1万人以上の弟子に剣術を指南した。伊賀上野の鍵屋の辻の仇討ちで知られる荒木又右衛門も十兵衛の弟子であった。
見どころ  柳生へ行けば、最初に柳生城が築かれた樹木の生い茂った標高320mの古城山が「鏡石」に刻まれた地蔵尊目につく。古城山の山上には土塁や空堀がわずかに残るのみである。
 正木坂に築かれた柳生陣屋は1374坪の敷地で、表門は竹の枝門であった。奈良市では昭和55年、柳生陣屋跡を史跡公園として整備し、往時の建物跡を石積みによって復元している。
 在りし日の陣屋の建物は説明図によると、柳生氏らしく質素なものであったと思われる旧柳生藩家老屋敷。公園内には柳生陣屋跡と柳生城址の2つの碑が建ち、小さいながらも散策するには格好の場所で、ここが柳生新陰流1万2千5百石の居館跡と思えば、感慨もひとしお。
 公園外側に残る「鏡石」と呼ばれる石垣の巨石には地蔵尊が刻まれているので、是非とも見ておきたい。
 陣屋跡には建物の遺構は何一つ残っていないが、武家屋敷の遺構として幕末の柳生藩家老・小山田主鈴の屋敷が公園近くに残り、この屋敷で山岡荘八がNHKの大河ドラマとなった『春の坂道』を執筆。今では奈良市が整備して一般に公開されている。
周辺案内  東海自然歩道に残る疱瘡地蔵は必見。地蔵尊の右下には民衆が刻んだ正長元年円成寺名勝庭園と楼門(1428)の徳政一揆の碑文が残り、歴史上貴重なものとして国の史跡に指定されている。
 また、柳生石舟斎が一刀のもとに斬ったという伝説のある「一刀石」も見逃せない。真っ二つに割れた巨大な石で、今では天乃石立神社となっている。
 柳生氏の菩提寺である芳徳寺を訪れた後、奈良市内へ向かう途中に建つ円成寺を拝観したい。円成寺名勝庭園から望む楼門(国重要文化財)の姿は一幅の絵画のように美しい。多宝塔の本尊で、運慶作の大日如来坐像(国宝)は圧巻。小さいながらも鎌倉時代初期の特色を良く残す摂社春日堂・白山堂(国宝)は貴重なもの。本堂(国重要文化財)内の本尊・阿弥陀如来坐像(国重要文化財)と四天王像(国重要文化財)も本堂内部とあいまって見ごたえがある。

【奈良市のホームページへ】