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龍 野 城

播磨の小京都に建つ脇坂氏5万石の城

 所在地:兵庫県龍野市龍野町上霞城
 別  称:霞城
 築城年:明応8年(1499)、寛文12年(1672)
 築城者:赤松政則、脇坂安政
 形  式:平山城
 遺  構:石垣、復元櫓・城門・城壁・本丸御殿

 地図 
復元隅櫓
歴 史  龍野城は鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の2つに分けられる。山城は室町時代復元埋門末期の明応8年(1499)に播磨の国を支配していた赤松政則が一族の赤松村秀のために築城したもので、以後、赤松氏4代の居城となる。
 戦国時代に入って天正5年(1577)織田信長の命による羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の中国攻めが始まると、時の龍野城主赤松広英は秀吉に城を明け渡した。秀吉は家臣の石川光元に1万石を与えて龍野城を守らせた。
 天正9年(1581)蜂須賀正勝が5万3千石で入城。天正13年(1585)蜂須賀氏が阿波徳島に移封された後は、龍野城主はめまぐるしく交替した。池田輝政が慶長5年(1600)関ケ原の合戦の軍功により姫路城に入ると、龍野城を支城として城代を置いた。復元隅櫓この頃には鶏籠山山麓に城主の居館が設けられていたと思われる。
 その後も龍野城主は本多氏、小笠原氏、岡部氏、京極氏と替わるが、万治元年(1658)時の城主京極高知が讃岐丸亀に移封されると、龍野城は一時廃城となった。
 しかし、寛文12年(1672)信濃飯田から脇坂安政が5万1千石で入封すると、平山城を築城した。泰平の世でもあり、脇坂氏は外様大名であったため天守は築かれず、城主の御殿や多聞櫓、政庁などを築き、城下町も整備した。これが今に残る龍野城跡である。
 以後、龍野城は脇坂氏10代5万1千石の居城として明治維新を迎えた。
一口話  武勇の神として龍野の人々に親しまれている龍野神社。寛文12年(1672)脇坂安政が信濃飯田から龍野に移ってきた際、藩祖である脇坂安治を祀るために建立した神社である。
 脇坂安治は豊臣秀吉が柴田勝家を破り天下取りの第一歩となった天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで抜群の軍功をあげ、賤ヶ岳七本槍の一人と数えられ、槍一筋で5万石の大名になった猛将である。その子孫が龍野城で明治維新に至るまで代々続いた。
 龍野藩脇坂氏で歴史上有名なのは赤穂城請け取りに赴いた二代藩主脇坂淡路守安照である。播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城の殿中で吉良上野介を斬りつけたため浅野家は断絶。徳川幕府の一方的な措置に対して赤穂浪士が籠城するとの噂も飛び交い、赤穂城請け取りに赴く脇坂安照もそれなりの覚悟をしていたものと思われる。しかし、城代家老の大石内蔵助が見事に整理して赤穂城を明け渡したので、安照は安堵の胸をなでおろすとともに、昼行灯と呼ばれていた内蔵助の人物を見直した。「忠臣蔵」の映画やテレビドラマで必ず出てくる名場面である。
見どころ  復元多聞櫓と埋門脇坂安政が築いた龍野城跡には本丸御殿のほか、多聞櫓と埋門、二層の隅櫓、白亜の城壁などが昭和54年に当時の絵図などを参考に復元されている。
 播磨の小京都と呼ばれる龍野の城下町を散策しながら立ち寄るのが良いだろう。龍野城跡付近には白壁の続く武家屋敷も一部残って復元隅櫓いる。
 城壁と隅櫓のコントラストは美しく、本丸御殿は広々とした建物で、一部が資料館と図書館になっている。御殿内の各部屋を見て回れば、龍野5万石の藩主にふさわしい優美な御殿だったことがわかる。
 出来ることなら赤松氏が築き、石垣などの遺構が残っている鶏籠山の山城も見学したいが、残念ながら登山道があまり整備されていないので下から見上げるほうが無難かもしれない。鶏籠山の山容は実に美しく、龍野のシンボルともいえる山である。
周辺案内  揖保川の清流に臨む龍野の町は播磨の小京都と呼ばれるだけあって風情のある町並みが続く。
 哲学者・三木清の哲学碑のある哲学の小径は思索するにふさわしい静寂な散歩道である。また童謡の小径に入ると「夕焼け小焼け」と誰もが一度は口ずさんだ懐かしい「赤とんぼ」などの童謡のメロディーが聞こえてくる。「赤とんぼ」は龍野市が生んだ三木露風の作詞である。
 聚遠亭龍野藩主脇坂氏が御所の再建に尽くしたとして、時の孝明天皇から拝領したという聚遠亭(しゅうえんてい)は風雅な茶室で、池に映る姿は優美そのものである。内部は見学できないが、美しい調和を見せる外観と庭園だけは是非見ておきたい。
 龍野市立歴史文化資料館では古代・中世・近世に分けて歴史資料を展示しているが、中でも藩祖・脇坂安治が徳川家康から贈られた鎧具足は必見のもの。
 霞城館では「赤とんぼ」の作詞で知られる三木露風、田園の詩人・内海信之、『人生論ノート』などで有名な哲学者・三木清、『嗚呼玉杯に』を作詞した矢野勘治という龍野が生み出した4人の文人ゆかりの品々を展示している。
 龍野といえば寛文6年(1666)に考案されたうすくち醤油で有名。その伝統的な製法を見学できるのが「うすくち龍野醤油資料館」である。醤油メーカー・ヒガシマルの旧本社を利用した館内には、明治時代の帳場のほか、往年の醤油製造道具が順を追って展示されており興味深い。

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