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高 槻 城

キリシタン大名高山右近で有名な城

 所在地:大阪府高槻市城内町
 別  称:霞ヶ城
 築城年:正暦年間(990〜994)
 築城者:近藤忠範
 形  式:平城
 遺  構:移築城門、復元石垣

 地図 
復元石垣
歴 史  高槻城の歴史は古く、平安時代中期の正暦年間(990〜994)に近藤忠範が館を築い槻の木高校脇に建つ高槻城址の碑たのが始まり。南北朝の動乱期には駿河国入江荘の地頭・入江氏が足利尊氏の命により高槻城に入り、室町時代から戦国時代初期にかけてこの地方一帯を支配していた。
 永禄12年(1569)足利義昭を奉じて上洛した織田信長は謀略を用いて入江氏を滅ぼし、和田惟政(これまさ)を高槻城主とした。和田惟政はキリシタン宣教師を保護し、ルイス・フロイスを信長に謁見させるなど、宣教師たちからはキリスト教の父とも呼ばれた。
 和田惟政は元亀2年(1571)白井河原の合戦で池田城主池田勝正に敗れて戦死。その子和田惟長が後城跡公園を継いだが、天正元年(1573)高山右近父子に城を追われ、高山飛騨守、次いでその子の高山右近が高槻城主となった。
 キリシタン大名として有名な高山右近は城内に教会を建て、宣教師を招くなどキリスト教の布教に力を注いだが、豊臣秀吉の天下となった天正13年(1585)高山右近は明石に移封。キリシタン禁令はこの2年後である。
 その後、高槻城は豊臣氏の直轄地となるが、元和元年(1615)の大坂の陣で豊臣氏が滅亡すると、高槻城主は内藤氏・土岐氏・松平氏・岡部氏とめまぐるしく代わり、慶安2年(1649)永井直清が3万6千石で入封。以後、高槻城は永井氏13代で明治維新を迎える。
一口話  高山右近は摂津高山(現在の豊能郡豊野町)で飛騨守の長男として生まれ、12歳でキリスト教の洗礼を受け、父母をはじめ家臣たち150名がキリスト教徒になったといわれている。
 天正15年(1587)秀吉がキリスト教を禁じると、明石7万石を取り上げられ、加賀の前田利家の下に身を寄せる。慶長17年(1612)家康のキリスト教禁止令により、翌年高山右近はマニラに追放され、到着したわずか40日後に死亡したという。キリシタン大名は数多いが、高山右近はその最右翼といえよう。
見どころ  入江氏の高槻城は小高い丘に築かれた居館程度のものであったが、城跡公園内に建つ高山右近の銅像和田氏の時代となると、堀をめぐらせた城郭となった。高山氏は和田氏が築いた堀の外にもう一つの堀をめぐらして二重堀を完成。元和年間の土岐氏はさらに外側に大きな堀を設け、大城郭となった。
 本丸には三層の天守が建ち、二の丸・三の丸・出丸が配されたが、この大城郭も今は市街化の波が押し寄せて本行寺に移築された高麗門跡形もない。
 槻の木高校の敷地が本丸跡で、その側に高槻城跡公園が造られ、高山右近の銅像や、池に臨んで石垣が復元されるなど、市民の憩いの場所となっている。
 園内には江戸時代の商家を移築した高槻市立歴史民俗資料館があり、生活用具や高槻特産の寒天製造用具、古曾部焼などが展示されている。
 公園近くの本行寺に移築された高麗門が在りし日の高槻城の貴重な遺構である。
周辺案内  高槻では摂津峡が有名。奇岩や断崖が続き、清流に沿って上の口から下の口までの約4kmは快適なハイキングコースで、四季折々の風情が楽しめる。
 富田町にある普門寺の入母屋造りの方丈は国の重要文化財に指定され、国の名勝である庭園は江戸時代初期の枯山水。高槻では是非訪れたい寺である。
 秋には、神峰山寺に詣でたい。770年頃の創建と伝えられる古刹で、毘沙門天を本尊とし、紅葉の名所として知られている。

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