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下 赤 阪 城

笠置山落城の後に楠木正成が立て籠もった城

 所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
 築城年:元弘元年(1331)
 築城者:楠木正成
 形  式:山城
 遺  構:土塁

 地図 
城跡碑
歴 史  元弘元年(1331)後醍醐天皇が京都を脱出し、城址碑下に築かれた石垣8月27日に笠置山で挙兵すると、それに呼応するかのごとく楠木正成は下赤阪城を築城した。
 同年9月28日には笠置山は鎌倉幕府軍によって落城し、後醍醐天皇は捕らわれの身となるが、皇子の護良(もりなが)親王は下赤阪城に入城する。
 これに対して土塁とおぼしき遺構鎌倉幕府軍は10月15日から下赤阪城を攻撃。小城であったためすぐに落城すると思われたが、楠木正成の奇策により翻弄され、睨み合いとなる。
 しかし、楠木正成軍は食糧が尽きたことから10月21日の夜、城に火を放ち、闇に紛れて討死したようにみせかけて金剛山中へと逃れた。
 その翌年の元弘2年(1332)楠木正成は再起して下赤阪城を奪回するが、ほどなく落城した。
一口話  楠木正成ほど有名で、しかもこれほど素性のわからぬ人物はいないだろう。正成を祀る神戸の湊川神社では「橘朝臣正成」とし、橘氏の末裔とされているが、河内を拠点とした土豪というのが本当のところではなかろうか。
見どころ  下赤阪城は標高185m、金剛山地から延びる丘陵の下赤阪城跡自然地形を利用して築かれた山城で、国の史跡に指定されている。
 村立千早赤阪中学校の裏手の丘陵の一角が下赤坂城跡で、新しく築かれた石垣の上に見上げるように城址碑が建っている。
 城跡は小公園となり、石碑の下に案内板がある。ここが本丸跡であったかは定かではなく城跡から眺める「下赤坂の棚田」、この中学校の裏手か、千早赤阪村役場の裏手の2ヶ所が候補になっている。
 城跡の周囲には土塁と思われる遺構が残っているが、城としての遺構は明確になってはいない。
 城跡からは「日本の棚田百選」の一つに数えられる「下赤坂の棚田」の美しい風景が眺められる。
 下赤阪城跡から谷間に広がる棚田を眺めると、楠木正成が鎌倉幕府軍を翻弄した山城であったことが良くわかる。
周辺案内  大阪府と奈良県の県境にある金剛山は標高1125mと大阪で一番高い山。ロープウェイで山頂近くまで登れるが、登山道もあり、四季それぞれ、美しい自然と変化に富んだ登山コースで多くの登山愛好家に人気のある山。冬には見事な樹氷の花を見ることができる。

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