水口岡山城
(みなくちおかやまじょう)
甲賀の要衝の地に中村一氏が築いた山城
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地図 ![]() |
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| 本丸跡に残る石垣 |
| 歴 史 | 水口は京都から伊勢に通じる要衝の地で、室町時代にはすでに宿場町が形成されていた。天正13年(1585)天下を握った豊臣秀吉は水口の地を重視し、中村一氏に命じて大岡山の山頂に城を築かせ た。これが水口岡山城である。中村一氏の後、豊臣五奉行の増田長盛、ついで長束(なつか)正家が岡山城主となった。 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦前夜、長束正家は上杉氏征伐に向かう徳川家康を招待して謀殺しようとしたが、甲賀者の密告で家康は本多忠勝軍を先頭にして、夜半に乗じて水口城下を通過して関宿に向かい、難を免れたという。なお、石田三成の家老・島左近が街道沿いの旅籠の二階に兵を潜ませ、家康を狙撃しようとしたという話もある。 長束正家は天下分け目の関ヶ原の合戦で西軍に属して敗れ、水口岡山城は完成からわずか15年で廃城となった。 徳川三代将軍家光が築かせた水口城に対して、岡山城は今では水口古城と呼ばれている。 |
| 一口話 | 長束正家は織田信長の重臣・丹羽長秀に仕える軽輩の身であったが、その才能を秀吉に認められて抜擢され、後には石田三成、増田長盛らとともに豊臣家五奉行の一人として活躍。近江国の出身で計数に明るく財政面を担当した。 関ヶ原の合戦で敗れて水口に逃げ帰ったものの、岡山城はすでに家康方の甲賀衆に占領されていて入城できず、近江日野まで落ち延びたが、進退極まって自刃した。加藤清正や福島正則などの武将に対して、五奉行は官僚ともいえ、武将とはそりが合わず、そこを突いた家康の策略により関ヶ原の合戦では敵対関係となる。 |
| 見どころ | 大岡山は今では古城山と呼ばれている。山頂に本丸・二の丸・三の丸・西の丸を配し、天守や櫓などが築かれ、山麓の 外郭には外堀がめぐらされた甲賀最大の山城であった。現在では建物の遺構は何一つ残っていないが、中腹と山頂付近はちょっとした小公園となっている。登山道を登って行くと「花の広場」があり、椿やカキツバタなど四季折々の花が美しい。さらに登って行くと「憩いの広場」や「緑の広場」がある。 山頂近くには「石垣見学コース」が設けられているが、三代将軍徳川家光の命によって小堀遠州が水口城を築いた際、岡山城の石垣をほとんど転用したので、今では石垣らしいものの一部が見られるだけである。 本丸跡には展望台が建ち、水口の町並みと甲賀の山々が見渡せ、この地が交通の要衝であったことが実感できる。 |
| 周辺案内 | 小堀遠州が築いた水口城跡と、蓬莱庭園が美しい大池寺を見学した後、水口から京の都へ向かう次の宿場町石部を訪れたい。 石部には国宝の長寿寺と常楽寺がある。長寿寺は常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれ、聖武天皇の勅願によって創建された古刹。本堂は鎌倉時代初期のもので国宝に指定されている。境内の拝観は自由だが、予約して仏像などの寺宝を拝観したい。 常楽寺は奈良時代に奈良東大寺の良弁僧正が創建した古刹。本堂は南北朝時代、三重塔は室町時代の建物で、ともに国宝に指定されている。両寺とも国宝でありながら観光客はあまり訪れないなので静寂そのものである。 |