[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

国宝 彦 根 城

貴重な建造物を今に伝える井伊氏14代の居城

 所在地:滋賀県彦根市金亀町
 別  称:金亀城
 築城年:慶長8年(1603)
 築城者:井伊直勝
 形  式:平山城
 遺  構:天守、櫓、城門、馬屋
      石垣、堀、土塁

 地図 
現存天守(国宝)
歴 史  佐和口多聞櫓(重要文化財)慶長5年(1600)天下分け目の関ケ原の合戦では徳川家康の勝利となり、翌慶長6年(1601)徳川四天王の一人で、甲斐武田氏の赤備えを許された井伊直政は関ケ原の戦功により湖東の地を与えられ、18万石で石田三成の居城であった佐和山城に入った。
 しかし、佐和山城は関ケ原の合戦で荒廃していたため、直政は新たな地に築城しようと考えたが、翌慶長7年(1602)関ケ原の戦傷が元で世を去り、嫡子直勝が後を継いだ。
 井伊直勝は父直政の遺志を受け継ぎ、慶長8年(1603)から彦根城の築城を始めた。徳川家康はこの城を大坂城攻めの最前線基地と考え、7ヵ国12大名に号令して、2年がかりで琵琶湖の水を引き入れた堀と堅固な櫓に守られた天守を完成させた。その後も約20年の歳月をかけて普請が続けられ、井伊氏35万石の居城にふさわしい近世城郭となった。これが今に残る彦根城で、明治維新まで井伊直政を初代とする井伊氏14代の居城となった。
 慶長19年(1614)にはじまる大坂の陣で、井伊直勝の子直孝が戦功を内堀と石垣挙げ、18万石から35万石の大大名となった。また、井伊氏は徳川譜代大名筆頭格で、井伊氏14代の内5人の藩主が徳川幕府の大老を勤めた。
 とりわけ有名なのは十三代藩主の井伊直弼。幕末の大老として日本の将来を考え、勅許を待たずして列強諸外国と開港条約を結び、反対派を弾圧した(安政の大獄)が、桜田門外の変で凶刃に倒れた。このため井伊氏最後の十四代直憲は10万石に減封され、明治維新を迎える。
 彦根城は明治4年の廃藩置県で城郭の一部が取り壊されたものの、天守や櫓などは明治天皇の計らいで保存され、その優美な姿を今に伝えている。
一口話  井伊直弼は十一代藩主直中の十四男として生まれ、17歳から32歳までわずか300俵の捨扶持で、彦根城佐和口御門前の公館で日々を過ごした。直弼は「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もりておらむ心なき身は」と詠じて、この館を「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた。
 この青年時代に直弼は茶道、和歌、能のほか、国学、武術など文武両道の修練を積み重ね、海外の事情にも精通していた。この埋木舎での修練があってこそ、幕府の大老職として国難にあたる大器量が発揮されたのであろう。
 船橋聖一の『花の生涯』は井伊直弼の生涯を描いた名作で、NHKの第一回大河ドラマになった。
見どころ  現存天守(国宝)琵琶湖畔に築かれた彦根城は平成の大修理で一段と整備され、その美しさを増した。
 国宝の天守は京極高次が築いた大津城の天守を移築したものといわれ、唐破風・千鳥破風・切妻破風・入母屋破風を縦横に組み合わせ、調和の取れた美しい曲線美をみせている。牛蒡積と呼ばれる石垣も独特のもの。築城当時は18万石であったために三層三重と規模はさほど大きくないが、外観の美しさだけでなく、内部は急な階段で城本来の防衛機能にも優れている。各層の木組みや隠狭間など見ごたえがあり、最上階から眺める琵琶湖の風景も捨てがたい。
 彦根城は中堀、内堀と石垣が美しく、城内には国の重要文化財に指定されている二の丸佐和口多聞櫓、馬屋、天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓など貴重な建造物が残っている。
 天守へ向かう道はまず「いろは松」から。中堀に沿って植えられた松並木で、往時は47本あったのでこの名が付けられた。現在は34本が残っていて、正面に建つ白壁の二の丸佐和口多門櫓と中堀、石垣の調和した風景が美しい。天秤櫓(重要文化財)
 佐和口多聞櫓西側の二十八間櫓は重要文化財だが、東側の五十間櫓は昭和35年に復元されたもので、内部はギャラリーとして展覧会などに利用されている。
 多聞櫓を過ぎると馬屋がある。元禄時代に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた。こけら葺きの屋根が美しく、城内に残る馬屋は彦根城だけ。
 入城券を買って石段を登ってゆくと天秤櫓に至る。天秤櫓は橋を中心に天秤のようなそれぞれ左右対称の隅櫓を設け、正面からはまるで天秤のように見えることからこの名がある。橋を境にして東西の石垣の積み方も異なっている珍しい櫓。時代劇のロケ地にも良く使われるように絵になる櫓で、あらゆる角度から眺めてみたい。
 天秤櫓から「時報の鐘」を経て太鼓門櫓へ至る道も時代劇に登場しそうな風景である。本丸への入り口にある太鼓門櫓は旧記に「彦根城楼門」とあり、本来表口を固める城門を移築したものといわれている。柱に残る釘跡は移黒門からの登城道築前の痕跡で、内部には各地の城の写真や彦根城の模型が展示されている。
 天守を見学した後は、背後の西の丸に立ち寄りたい。西の丸から眺める天守の姿は華麗で、西南隅に建つ西の丸三重櫓は一説によると小谷城(浅井長政の居城)の天守を移築したものともいう。西の丸広場には多くの桜が植えられ、お花見の絶好のスポット。
 「いろは松」から天守へ至る道は良く整備され、休憩所もところどころに設けれているが、帰りは西の丸から搦手である黒門に降りてゆくのがお勧め。鬱蒼とした樹木、苔むした石垣、急な石段など古城の趣きを感じさせる。黒門を出て内堀に沿って玄宮園に向かう道は絶好の散策路。
 なお、彦根城の最北端にある山崎郭はほとんど訪れる人はないが、隠れた桜の名所である。
周辺案内  玄宮園彦根城を訪れたなら北東にある大名庭園の玄宮園(国名勝)を見学したい。四代藩主井伊直興が造営した名園で、大きな池に突き出すように建つ鳳翔台(茶室)などの建物の他、池の周囲には近江八景、竹生島や沖の白石などを表現するために樹木や岩石が配置されている。この回遊式庭園から望む天守は風情があり、テレビドラマのロケ地にもよく使われている。
 井伊直弼が若き日々を過ごした「埋木舎」(国特別史跡)と「彦根城博物館」埋木舎は必見の価値がある。埋木舎の前から中堀越しに眺める彦根城の姿は一幅の絵画そのもの。
 彦根城博物館は彦根藩の政庁であった表御殿を復元したもので、建物そのもが博物館。内部には能舞台や茶室、大名の居間も復元されている。江戸時代を知るには名古屋の徳川美術館に次ぐもので、井伊家の家宝が数多く展示されているが、中でも井伊直弼愛用の茶道具などは見事なものである。
 井伊氏歴代の菩提寺である龍潭寺は佐和山城址の麓にある。井伊直政が静岡より彦根に移築し、開基した寺院で、参道が美しく、各種庭園と襖絵はなかなか見ごたえがある。

【彦根城フォトライブラリーへ】     【彦根市のホームページへ】