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安 土 城

五層七階の大天守に金箔瓦が輝いた信長の天下布武の城

 所在地:滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
 築城年:天正4年(1576)
 築城者:織田信長
 形  式:山城
 遺  構:石垣、天守台、郭跡

 地図 
大手道
歴 史  永禄3年(1560)桶狭間の奇襲で駿河の今川義元を破って、天守跡織田信長は天下取りの第一歩を踏み出した。永禄10年(1567)美濃の斎藤氏を滅ぼし、岐阜城を本拠として翌年足利義昭を擁して上洛。天正元年(1573)信長は義昭を京都から追放し、天正3年(1575)長篠の戦いで甲斐の武田氏を打ち破って天下人となった。
 織田信長は天下布武の城として、岐阜城と京都の中間で、琵琶湖に臨む水陸の要衝の地である安土山に天正4年(1576)から安土城の築城にとりかかった。丹羽長秀を総奉行とし、尾張、美濃、伊勢、三河、越前、若狭、及び畿内の諸将と京都、奈良、堺の大工、職人を総動員して天正7年(1579)に完成した。
 天守は五層七階で五階は八角の形をしており、金箔瓦が輝き、各層の外面は金色・朱色・安土山遠望青色・白色に塗り分けられ、見る者の目を奪うほどの画期的なものであったという。各階の多くの座敷内はことごとく黒漆塗りで、その襖には狩野永徳に絵を描かせ、極彩色で仕上げられた部屋もあり、当時の日本最高の技術と芸術を集大成して造られ、安土・桃山文化の先駆となった。
 安土城築城と平行して城下町の建設も行なわれ、各地から商人を集めて自由と安全を保障し、市場はすべて楽市楽座とした。
 この絢爛豪華な安土城も、完成後わずか3年、天正10年(1582)本能寺の変で信長が自刃すると、ほどなく跡形もなく焼き払われてしまった。
一口話  若き頃信長は「うつけ者」と呼ばれていた。それは旧来の慣習を無視した異端児だったからである。大仏次郎の名作『若き日の信長』(戯曲)にはその信長の姿が生き生きと描かれている。
 信長は革命児で、中世からの既成の秩序をすべて打ち崩し、近世への扉を開いた。キリスト教を広め諸外国と交流し、自由市場である楽市楽座を設ける一方、京都の北の守りである比叡山を焼き討ちしたり、越前や長島をはじめ各地の一向宗の徒を皆殺しにしたりした。
 まさに時代が生んだ一代の英雄で、信長がいなければ日本の歴史は百年は遅れていたであろう。
見どころ  安土城は標高199mの安土山に築かれた山城で、長らく幻の城といわれてきたが、黒金門跡昭和に入ってからの発掘調査の結果、その全貌が徐々に姿を現し、安土城跡は国の特別史跡に指定されている。現在では總見寺が管理し、塵一つ落ちず、城跡内は実にすがすがしい。
 大手道から登り、二の丸跡、本丸跡、天守跡を見学した後、帰路は總見寺を訪ねて、かつて城下町に通じていた百々橋に至るのが一般的なコース。要所要所に設けられた説明文を読みながら見学すれば約2時間はかかるだろう。
 大手道は急勾配の石段が続き、その両側には前田利家邸跡、羽柴秀吉邸跡など家臣団の屋敷跡が残っている。大手道が180mのまっすぐな直線であるのも安土城までの城郭には見られない特徴である。また、大手道に使われた多くの石仏も見逃せない。本丸跡
 大手道を登ってゆくと、やがて黒金門跡にたどり着く。この門から上が主郭部で、重要な門であっただけに穴太(あのう)積みの大きな石垣が残り、石段も大手道とは違った趣きがある。
 二の丸跡は豊臣秀吉が天正11年(1583)に織田信長の廟所を建てたところで、今でも信長の墓所が残っている。
 二の丸跡から登って行けば本丸跡に至る。本丸は千畳敷と呼ばれ、安土城本丸御殿が建てられていたところ。本丸には実現はしなかったものの、天皇行幸のために信長が用意した行幸御殿もあったという。
 本丸跡からすぐ上のところに天守跡がある。大きな礎石が整然と並んでいるが、往時の天守が築かれていたのは、現在見られる天守台の2倍半もあったという。この地に立って、五層七階の絢爛たる天守に思いを馳せれば、まるで自分が天下人になったような壮大な總見寺仁王門(重要文化財)気分がする。
 百々橋への帰り道には、重要文化財の三重塔と仁王門・金剛力士像が残る總見寺がある。總見寺は信長が安土城築城と同時に建立した寺院。三重塔は室町時代中期、仁王門・金剛力士像は室町時代後期の建物で、信長が安土城築城時に近江国甲賀郡から移築したものといわれており、兵火を免れて今日に至っている。總見寺本堂跡から望む西湖の風景は一幅の絵のようだ。
 總見寺から百々橋へ降りる道は急な石段が続くが、安土城焼失後も寺の参道として維持されたためか、安土城内の通路としては最も破損が少ないといわれている。
 安土城跡は現在でも発掘調査が続けられており、新たな発見によって安土城の全貌が明らかになる日もそう遠くないだろう。
周辺案内  信長の館安土城跡近くの「文芸の郷」には「信長の館」と滋賀県立安土城考古博物館がある。信長の館にはスペイン・セビリア万国博覧会に出展された安土城天守の五階と六階部分の実物大模型が展示されている。金色に輝き絢爛豪華なその姿は往年の安土城天守の姿を彷彿とさせ、見物客を魅了する。
 安土城考古博物館は内部の展示物も見ごたえがあるが、外観はロマネスク様式を取り入れた二階建てで、近江風土記の丘二階の南蛮風楼閣は八角形の安土城天守の五階部分をモデルしている。
 文芸の郷の隣にある近江風土記の丘を散策すれば、この地が古代からいかに重要視されていたかが実感できるだろう。
 JR安土駅前には安土城城郭資料館がある。安土城の20分の1の模型を展示し、織田信長に関する資料を集めた安土文庫もある。
 桑実寺にも訪れたい。白鳳6年(691)天智天皇の勅願により創建された古刹で、薬師如来を本尊としている。戦国時代の戦火を免れ、南北朝時代に再建された姿のまま残っている貴重な寺院である。

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