
赤 穂 城
忠臣蔵であまりにも有名になった城
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地図 |
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| 復元隅櫓と大手門 |
| 歴 史 | 赤穂の 地には室町時代に播磨一帯を支配していた赤松氏の一族である岡豊前守が居館を築き、加里屋城と称していた。戦国時代になると、備前岡山城主宇喜多秀家が支配するところとなり、加里屋城を支城とした。慶長5年(1600)関ケ原の合戦で宇喜多秀家が敗れると、姫路城主となった池田輝政の領土となり、城代が置かれていたが、元和元年(1615)池田輝政の五男池田政綱が2万5千石を与えられて入城。これが赤穂藩の始まりである。しかし、正保2年(1645)政綱の後を継いだ池田輝興が発狂して妻女を殺害したため、赤穂池田氏は2代31年間で廃絶となった。 代わって常陸笠間から浅野長直が5万3千5百石で入封、徳川幕府の許可を得て慶安元年(1648)から甲州流軍学者の近藤正純、山鹿 流軍学者の山鹿素行の縄張りで、13年をかけて池田氏の陣屋を近世城郭に築き上げた。浅野長直は赤穂城築城と平行して城下町の整備に取り組むとともに、入浜式塩田の開拓と塩の流通にも力を注ぎ、赤穂浅野家の繁栄の礎を築いた。 しかし、元禄14年(1701)赤穂浅野氏三代の浅野内匠頭長矩(ながのり)が江戸城松の廊下で高家筆頭の吉良上野介義央(よしなか)に刃傷に及んだため、浅野長矩は切腹、赤穂浅野家は取り潰しとなった。 その直後、永井直政が3万3千石で赤穂城主となり、次いで宝永3年(1706)備中江原から森長直が2万石で入封、以後森氏11代で明治維新を迎えた。 |
| 一口話 | 播州赤穂といえば誰もが「忠臣蔵」を頭に浮かべる。正式には赤穂浪士事件である。浅野内匠頭が江戸城で吉良上野介に刃傷に及んだが、吉良上野介はお構いなし、浅野内匠頭は即日切腹、お家は断絶した。喧嘩両成敗というのが鎌倉幕府以来の慣例であるのに、この方手落ちな処分に世論は赤穂浪士に同情した。 元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助を首領とする赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、主君の仇を討った。これは単なる仇討ちだけではなく、幕府の政道を問う歴史的大事件であった。その討ち入りから浪士の人数である47年目に大坂・竹本座で初演されたのが『仮名手本忠臣蔵』である。 以後、赤穂浪士事件は「忠臣蔵」と呼ばれ、現在も小説・映画・テレビドラマなどで人気を集めている。 |
| 見どころ | 赤穂 城は周囲3kmの海岸に臨む海平城で、城内には10の櫓と12の門を配し、往時は直接海に舟を出せる城であった。本丸には天守台は造られたものの、幕藩体制が確立した後だけに天守は築かれず、本丸御殿が設けられた。![]() 赤穂城は本丸・二の丸・三の丸が近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の縄張りであったため、現在の赤穂城跡は国の史跡に指定され、昭和27年に大手門と隅櫓が復元、堀や石垣とあいまって美しい外観を見せている。さらに、平成4年から8年にかけて本丸櫓門と厩口門、本丸庭園が復元された。 まず、太鼓橋を渡って大手門(高麗門)を通って進むと、大石内蔵助邸の長屋門が残っている。この長屋門は赤穂城跡に唯一残る貴重な遺構で、国の史跡に指定され、長屋門内には浅野内匠頭の刃傷・切腹を早籠で伝えた様子が等身大の人形で再現。庭園も見学できる。 城内には大正元年 に建立された大石神社が建ち、大石内蔵助をはじめ吉良邸に討ち入りした四十七士に加えて、余儀なく切腹に追い込まれた萱野三平が祀られている。大石神社の宝物殿には赤穂浪士が討ち入りに使用した武具や装束、書状などの遺品が展示され、中でも酒をこよなく愛した大石内蔵助愛用の杯が興味をひく。毎年12月14日には赤穂義士祭が催され、多くの見物客で賑わう。本丸跡に復元された櫓門を入ると、本丸御殿の間取り が実物大の土台の上に示され、建物はないものの往時の御殿の広さが実感できる。本丸跡で目を惹く天守台に上がれば、復元された本丸庭園、二の丸跡と三の丸跡と赤穂城跡が一望に見渡せ、小藩ながら大規模な城であったことがよくわかる。本丸跡を囲む堀と石垣も見ごたえがある。現在、二の丸跡と三の丸跡も発掘調査中で、二の丸にあった大名庭園や、大手門などが復元されれば、国史跡としての赤穂城跡が見事に整備されることだろう。 |
| 周辺案内 | 浅野家の菩提寺である花岳寺には浅野長矩を中心に、大石内蔵助・主税(ちから)父子、その周囲に赤穂義士の墓が静かに眠っている。境内には「鳴らずの鐘」がある。元禄16年2月、赤穂義士たちが江戸で切腹したという悲報が赤穂に届いた時、町の人が花岳寺に集まって冥福を祈ってうち続け、以来、この鐘は音韻を失って鳴らなくなったと言い伝えられている。商店街の一角に「息継の井戸」 が残っている。浅野長矩の凶報を知らせるため、江戸から赤穂まで早籠で飛ばしてきた早水藤左衛門と萱野三平が一息ついたといわれる井戸。その水は清流千種川から引かれたものであった。赤穂市立歴史博物館は赤穂の塩や城と城下町、赤穂義士など赤穂の歴史を楽しく学べるように工夫した博物館である。赤穂の製塩法や塩の流通をわかりやすく解説するとともに、赤穂城が海城だったことが良くわかるように展示している。文楽の『仮名手本忠臣蔵』を上映するシアターも備えている。 赤穂御崎まで足を伸ばせば温泉もあり、瀬戸内海国立公園の多島海の展望が楽しめる。 |