沼 田 城
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| 城址碑 |
| 歴 史 | 沼田城は沼田顕泰が3年の歳月を費やして築城した。当時は関東北辺の小さな山城であったが、三方を急流と断崖に囲まれた天然の要塞であり、また関東と越後、会津を結ぶ交通の要衝として、戦略的な価値は大きく、戦国時代には有力大名による争奪戦が繰り返された。 沼田氏は内紛により二代目朝憲が謀殺されたため、西から真田氏が侵攻し、真田昌幸の居城となった。その後、沼田城は北条氏に奪われるが、豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅んだ後、真田昌幸の嫡子、真田信之が入城し真田家初代の居城となった。 天正18年(1590)真田信之は城郭を拡張して、二の丸・三の丸を築き、水手曲輪に大門を建て、さらに慶長12年(1607)五層の天守を築いた。しかし天和元年(1681)11月、五代城主信直が江戸における不祥事により改易となり、翌年正月、徳川幕府は沼田城を破壊した。 その後、元禄16年(1703)本多正永が幕府の交付金で城を再建。本多氏の後、黒田氏、土岐氏の居城となり、明治維新に至って取り壊された。 |
| 一口話 | 真田昌幸は激動の時代を生き抜く知恵者だった。豊臣秀吉の時代とみるや、早くから秀吉の幕下に馳せ参じ、秀吉亡き後は嫡子の真田信之を徳川方につけ、次男の真田幸村を大坂方の武将とし、いずれが勝者となっても真田家が生き延びるように配慮した。このため国替えがあっても、明治維新まで真田家は松代藩主として存続した。 |
| 見どころ | 本丸・二の丸跡は沼田公園として整備され、市民や観光客の憩いの場となっている。 公園内には鐘楼や旧生方家住宅、旧土岐邸洋館、関口コオきり絵美術館などがある。また、本丸跡には花がたくさん植えられ、目を楽しませてくれる。 園内を散策すれば、この地が天然の要害であったことがわかり、特に本丸の西側からの眺めは見事である。 |
| 周辺案内 | 沼田市内の見どころは沼田公園内に集中している。 重要文化財の旧生方家住宅は17世紀末の建築で、町屋造りとしては東日本では最も古いものの一つ。生方家は沼田藩御用達の薬種商だった。旧住宅に隣接して同家ゆかりの資料を展示した生方記念資料館がある。 旧土岐邸洋館は最後の沼田藩主であった土岐頼知(よりおき)の七男土岐章(あきら)子爵が、大正13年に東京に新築したドイツの別荘風住宅で、土岐家現当主より沼田市に寄贈された。旧大名家の大正時代の生活を知るうえで貴重な住宅である。 |