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水 戸 城

石垣や天守がない水戸徳川家の簡素な城郭

 所在地:茨城県水戸市三の丸2丁目
 別  称:馬場城、佐竹城
 築城年:鎌倉時代初期、寛永2年(1625)
 築城者:馬場資幹、徳川頼房
 形  式:平山城
 遺  構:土塁、空堀、弘道館

 地図 
弘道館
歴 史  鎌倉時代初期に馬場資幹が水戸台地に館を構えたのが水戸城の始まりといわれている。応永33年(1426)江戸氏に奪われるまで馬場氏の居城であった。
 江戸氏も天正18年(1590)当時勢力を伸ばしていた佐竹氏に攻略された。佐竹氏は文禄元年(1592)から慶長7年(1602)にかけて大修築を行い、城下町の整備を進め、北関東随一の大名となった。しかし、その佐竹氏も関ケ原の合戦で態度を明確にしなかったため、徳川家康により慶長7年に秋田へ国替えとなった。
 徳川家康は、水戸が東北地方の外様大名を睨む絶好の地とみて、慶長7年に五男信吉、翌8年に十男頼宣、同14年に十一男頼房を入封させ、以後、御三家水戸徳川氏の居城となった。水戸頼房は寛永2年(1625)から大修築を行い、佐竹氏時代の二の丸を新本丸とし、東に二の丸、西に二の丸御殿、さらに外側に北三の丸、南三の丸と拡張し、寛永15年(1638)に完成した。
 石垣をほとんど用いず、天守も築かず、物見櫓として三階櫓が設けられただけだった。御三家の居城としては、名古屋城、和歌山城と比べると簡素な城郭だったといえる。これは水戸徳川藩主が代々江戸屋敷に住まいしていたからではなかろうか。
一口話  水戸といえばテレビドラマの「水戸黄門」が頭に浮かぶ。水戸光圀は隠居してから常陸太田市にある西山荘で日々を過ごし、ここで『大日本史』の編纂を始める。この『大日本史』の史観が、幕末になって、尊皇攘夷派の思想的よりどころとなった。
 西山荘は誠に質素なつくりで、梅の木が多く植わっている。光圀が梅里(ばいり)と称したのもこのためである。
見どころ  水戸城は、残念ながらわずかに土塁や堀の一部が残るだけで市街地となっている。
 貴重な史跡としては三の丸跡に残る弘道館ぐらいである。弘道館は、水戸藩九代藩主徳川斉昭によって創設された江戸時代最大の藩校。弘道館の教育は、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与え、多くの指導的人材を輩出した。現在は国の重要文化財に指定されている政庁、至善堂、正門の建造物があり、公園として整備されている。
 江戸幕府最後の十五代将軍徳川慶喜も、幼少期にここで学び、大政奉還後は戊辰戦争をよそに水戸に戻り、館内の至善堂で謹慎した。園内には800本、60種類もの梅の木が植えられ、静かな佇まいをみせている。
周辺案内  水戸へ行けば必ず訪れるのは偕楽園。金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一つで、徳川斉昭が領内の衆とともに(偕)楽しむために造園したもの。約13ヘクタールの広い敷地に約3千本・100種類の梅が植えられ、2月下旬から3月には多くの観梅客で賑わう。
 園内にある好文亭は斉昭が休憩所として建てたもので、水戸藩の風格が漂う見事な建築。この名は梅の異名「好文木」に由来し、その三階の楽寿楼からの眺望は絶佳。直径2mの大理石の井筒から清水が湧き出ている吐玉泉も見逃せない。
 また偕楽園に隣接して、水戸藩二代藩主徳川光圀・九代藩主斉昭を祀った常磐神社がある。

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