川 越 城
江戸城の北を守る徳川親藩の城
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| 本丸御殿 |
| 歴 史 | 川越城は室町時代の長禄元年(1457)武蔵国経営の拠点として扇谷(おうぎがやつ)上杉持豊が、家臣の太田道真・道灌親子に命じて築城させ、以後、80年間に渡って上杉氏6代の居城となる。 上杉定政の時代、太田道灌の機略によって扇谷上杉氏の勢力は宗家山内上杉氏を凌ぐ勢いとなった。文明18年(1486)山内上杉氏の謀略で、太田道灌が主家・扇谷上杉定政によって殺されると、山内・扇谷の両上杉氏は互いに矛を交えて一進一退の攻防を繰り返す。 これに乗じたのが北条早雲の子・小田原城主北条氏綱で、天文6年(1537)川越城を攻略。時の城主上杉朝定は敗走し、北条氏綱は家臣の福島綱成を川越城主とした。 天文15年(1546)上杉朝定は古河公方足利晴氏と手を組み、北条氏綱の後を継いだ北条氏康に対抗して川越城を奪回すべく8万余騎の連合軍を結成、川越城を完全包囲した。しかし、北条氏康自ら8千の精鋭を率いて夜襲、上杉勢をことごとく討ち破った。これが世に名高い「川越夜戦」である。上杉朝定は討死して、ここに扇谷上杉氏は滅亡する。 この北条氏も天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で滅び、川越城は前田利家に攻められて落城。同年、徳川家康が関東に移封されて江戸城に入城すると、川越城には譜代の酒井重忠が入城。酒井重忠が上州前橋に移封となった後、忍城より酒井忠利が川越城主となる。 「小田原城が江戸の大手で、川越城が江戸の搦手」と呼ばれたほど、川越城は重要な城であったため、歴代の川越城主は徳川幕府の譜代大名が務めた。酒井氏の後、堀田氏を経て寛永16年(1639)知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が7万5千石で入封。松平信綱の時代に川越城は大幅に拡張整備され、7郭・12門・3櫓の大城郭となった。 松平信綱の後、柳沢氏、秋元氏を経て、明和4年(1767)松平(川越)朝矩が17万石で入城。文久元年(1861)松平直克まで9代続くが、慶応3年(1867)松平(松井)康英(やすてる)が8万石で川越城主となり明治維新を迎える。 |
| 一口話 | 松平信綱といえば島原の乱の鎮圧で有名である。寛永14〜15年(1637〜1638)天草四郎を首領とし、キリシタン教徒を中心とする約3万数千人が原城を拠点として、天草・島原で乱を起こす。徳川幕府はこの鎮圧に板倉重昌を派遣するが、攻略に失敗して戦死。そこで、時の老中松平伊豆守信綱が自ら乗り出し、九州諸大名を指揮し激しい合戦の末、原城を攻略する。 その他、由井正雪の慶安の変や、明暦の大火などに善処したことから、松平信綱は知恵伊豆と称され、今にその名を残している。 |
| 見どころ | 平城である川越城には本丸・二の丸・三の丸、天守にかわる富士見櫓などが築かれていた。 現在は城跡の大部分が市街地になっているが、幸いなことに本丸御殿の一部が残っている。この御殿は松平(川越)斉典(なりつね)が嘉永元年(1848)に造営したもので、16棟、総建坪1025坪の規模を誇り、「小江戸」と呼ばれた川越にふさわしい格式のある御殿であった。 今に残る本丸御殿は大唐破風の庇がついた大玄関、36畳の大広間、 諸役人の詰所など8間、家老詰所からなり、家老詰所は上・中・下の主室、入側、縁で構成された書院造りである。御殿内部には、竹林・松・獅子等を画題とした杉戸絵が残っている。現存する本丸御殿は、ここ川越城と高知城にしかない実に貴重なもの。 本丸跡には天守の代わりに築かれた富士見櫓跡も残っている。今も土塁がその名残りをとどめ、記録によると51尺の三層の櫓であったという。 川越城跡内には今も三芳野天神が祀られている。この天神様が「ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ…」でお馴染みの「通りゃんせ」のご本尊で、「行きはよいよい帰りはこわい」という歌のように三芳野天神に至る道はくねくねと曲がっている。 本丸御殿や曲がりくねった道が残る川越城跡は城下町とあわせて一度は訪れたい城跡の一つである。 |
| 周辺案内 | 川越ではまず蔵造りの町並みを散策したい。土蔵造りの店舗は巧妙な耐火建築で、重要文化財の大沢家住宅をはじめ30数軒が建ち並び、伝統的建造物保存地区に指定されている。関東大震災で江戸の蔵造りはすべて焼失したため、「小江戸」と呼ばれた川越の蔵造りの町並みは江戸の佇まいを彷彿とさせる。 喜多院も是非訪れたい。寛永15年(1638)の川越大火で堂塔伽藍はほとんど焼失したが、時の三代将軍家光はすぐさま復興にかかり、江戸城紅葉山にあった書院造りの別殿を、喜多院の客殿・書院・庫裏として移築した。これらは江戸城内にあった唯一の現存する建築物として重要文化財に指定されている。 また、川越城主酒井忠勝によって建てられた鐘撞堂(かねつきどう)は、時を告げる鐘として川越の中心の場所にある。現在の鐘楼は川越大火の翌年に再建されたもの。 時間があれば、川越の総鎮守である氷川神社にも参拝したい。毎年10月に行なわれる氷川神社の祭礼は川越祭りとして有名である。 |